マルクス経済学者の松尾匡氏の連載2回目『ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から』が公開されていた。掴みの部分の1回目*1に比べて脚注も大幅に増えた気がするし、論が精緻になってきた。つまり学術的になってきたのだが、よく考えるとやはり上手いプロパガンダになっている。ミクロ的非効率の存在を厚く議論する一方で、価格メカニズムと言うマクロ的機構の重要性を無視しているからだ。
1. 情報の非対称性と資本主義社会のミクロ的非効率
まずは大雑把に要約してみよう。旧ソ連は適切なリスク配分が行われなかったので過剰設備投資と資材の過剰ため込みが発生したが、資本主義でもリスク配分が不適切で金融危機が発生していると指摘している。リスクより所有権と表現したほうが聞き慣れている気はするが、情報の非対称性や不完備契約の引き起こす問題が資本主義経済にもあるのは違和感は無い。
以前のエントリーで分権経済で最適状態が成立するには「完全競争、完全情報、完備契約、外部経済無し、取引摩擦無しなどの仮定」が必要と指摘しておいたが、松尾氏がリスク配分を取り上げているので大きな見解の相違はなかったことになる。コルナイ氏の著作をベースに議論されている「ソフトな予算制約」の議論も、ミクロ金融理論などでよく見かける議論である。
「そごう問題」のところは、Claessens et al. (2000)のクローニー資本主義として知られる株式持合いによるガバナンスの不透明さと、Jensen and Meckling (1976)の経営者が所有権を全て持つときにモラルハザードが最小になると言う議論を組み合わせたものになっている。金融自由化がモラルハザードの問題を引き起こしうると言うのは、Diamond (1984)の自己資本比率規制の議論と共通点がある。漁業などの事業形態の効率性の議論は、Hart and Moore(1990)の所有権アプローチになる。「顧客・利用者や地域住民に、健康被害などの不利益を与えたならば、きっちり補償しなければなりません」と言う部分も、外部不経済の内部化と考える事ができる。
東電と原発の関係は原発を建てる経営者の便益が明確にされていないので、モラルハザードであったと言う論が厳密には成立していない気がするが、資本主義社会でも情報の非対称性や不完備契約があると適切なリスク配分が可能とは限ら無いと言う大筋は理解できる。情報の非対称性の問題に関しては、概ね問題は感じない。だが、騙されてはいけない。
2. ソ連型システムが崩壊した理由はマクロ的な構造問題
著者はソ連が崩壊した原因が資本主義経済にもあると印象付けようとしているのだと思うが、ここがプロパガンダに思える。ソ連型システムの崩壊は資本主義経済にはある価格競争が無かった事では無いであろうか。しかし、松尾氏は出世競争には言及しているが、価格競争の話には言及していない。
「競争がなかったから怠けた?」の節で、ソ連型システムにも競争があったし、格差もあるので、ある種の出世競争があったと指摘している。社会主義は平等だからやる気がなくなると言う通説を否定する部分で内容に異論は無いのだが、出世競争があっても価格競争が十分に無かった事には注意したい。価格が変化する事で需給、つまり生産と消費が調整される事が、資本主義経済の特徴になる。資本主義社会の競争は、価格シグナルが分権的に動くことに他ならない。
「過剰設備投資と資材の過剰ため込みが不足経済を生む」の節で、松尾氏は「投資渇望と拡張ドライブ」「量志向とため込み」「輸出ドライブ」が慢性的な不足経済を招いたと指摘する。上述のミクロ的非効率は「量志向とため込み」を説明できるとは思うが、「投資渇望と拡張ドライブ」と「輸出ドライブ」は、需給を反映しない価格機構が招いた非効率性と考える方が自然では無いであろうか。
投資偏重で消費財が不足する問題は、動学マクロ経済学の原型であるラムゼー・モデルの投資過剰による発散経路*2だと考えることができる。分権経済では多少の非効率性があっても鞍点経路がとられるが、計画経済ではソーシャル・プランナーが愚鈍だとそうはならない。「ソフトな予算制約」でソ連が行き詰ったと言うのは、大きな問題を無視しすぎな議論だと思われる。
3. 出世競争があっても、価格競争がないと国が潰れるよね
新自由主義者が主張しているのは「出世競争ではなく、価格競争がないと国が潰れるよね」と言うことであって、松尾氏が批判する「農業も漁業も医療も、みんな資本主義企業が担うようにしよう」と言う話ではないはずだ。一部の経済評論家が事業形態は全て株式会社で統一すべきようなことを言っているのだと思うが、それに乗ってしまうと規制産業の自由化の意図を取り違えてしまう。松尾氏は自由化に反対するためにわざと取り違えている気もするのだが、そういう手法はやはりプロパガンダと言えるであろう。ベルリンの壁崩壊後に生まれた世代は、そんな方法に騙されないと思うけれども。
*11回目は「あるマルクス経済学者のプロパガンダ(1)」で気になる点を指摘した。
*2「あるマルクス経済学者の動学最適化に関する議論をラムゼー・モデルと比較してみる」の「1. ラムゼー・モデルを復習してみよう」を参照。
4 コメント:
早速お取り上げいただきましてありがとうございます。
適切な要約いただきまして感謝です。ご紹介いただきました文献は、是非本にまとめるときに参考にさせていただきたいと思います。
で、「価格競争」の件ですが、これがなかったのがソ連経済がうまくいかなかった原因というのはその通りだと思います。
しかしコルナイはもともとは、価格メカニズムを導入した、いわゆる「市場社会主義」のワーキングを研究してきた人で、価格自由化だけでは結局だめだということに行き着いたのが、今回紹介しました論点になるわけです。
実際ハンガリーはかなりの程度価格自由化が進んだのですが、やはりうまくいかず、「まだまだ価格自由化が足りない」とする「改革派」経済学者を尻目に、本質はそれではなかったと見切りをつけた経緯があるようです。
>> 松尾匡 さん
コメントありがとうございます。
出世競争もしくは生存競争が激しくしても、それが向かう方向を考えないと失敗すると言う御主張は理解できるのですが、価格形成は重要なトピックなので指摘させていただきました。
コルナイ氏のものだと思いますが、ハンガリーのケース・スタディは色々な教訓が詰まっていそうですね。旧共産圏の事例は、少なくとも私は良く知らないので、興味深いです。
では、第三回をお待ちしています。
>> 松尾匡 さん
> ご紹介いただきました文献は、是非本にまとめるときに参考にさせていただきたいと思います。
以下の部分に関連して、Dewatripont and Maskin(1995)で分権経済の方がゾンビ企業への追い貸しがしづらく、社会的に望ましくない投資を行いづらいと言う議論をしていたのを思い出しました。
> しかしソ連や東ヨーロッパの国有企業は違います。企業が赤字になっても潰れることはありません・・・銀行から融資されたりします。予算制約が緩すぎて融通がききまくるということで、「ソフト」だと言うのです。
DW(1995)は、不良企業が融資を求めてきたときに、
・新規融資する銀行Aと追加融資する銀行Bが同一であれば、銀行Aは頑張ってモニタリングをして損失を少なくする。
・両者が別だと情報の非対称性から不良債権の販売価格が下がるので、結果として銀行Aの努力水準が下がり、損失が大きくなる。
・損失が大きくなると、銀行は不良企業に追い貸ししなくなる。
・追い貸しされないのであれば、不良企業は融資を求めなくなる。
となることを理論的に示した、言わば効率が良い方が都合が悪くなると主張するペーパーです。
ソ連や東欧の国有企業がDW(1995)のような世界であったかは疑わしいのですが、銀行融資とソフトな予算制約の代表論文の一つだと思うのでご参考まで。
ああ! どうもありがとうございます。
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