2023年2月1日水曜日

手嶋海嶺さん、Levenson, Grady and Morin (2019)は、まだ児童性的虐待をおこしていないペドフィリアがセラピストにケアを受けるのを邪魔するな論文ですよ

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「誰がペドフィリアか分からなければ、(幾らペドフィリア蔑視をしても)ペドフィリアである人に社会的スティグマはつけられない」と言っていたら、手嶋海嶺氏がLevenson, Grady and Morin (2019)を参照しつつ「イントロで大体の知見まとめてくれてるけど、ペドフィリアの社会的スティグマは個人特定されなくても作用するから、まあイントロだけでも読んでよ」と反論してきたので、拝読してみたのだが、少なくともイントロにはそんな事は書いていなかった*1。後の方に関連しそうな議論はあったので、論文の概要を紹介してから、考察してみたい。

1. 論文の概要

論文自体はこの話題を議論するのに有益だ。"Beyond the “Ick Factor”: Counseling Non‑offending Persons with Pedophilia"(拙訳:「きもい」を超えて:小児性愛をもつ児童性虐待は起こしていない人物のカウンセリング)と言う題名から中身が分かりづらいのだが、

  1. 児童性的虐待を起こしていない*2軽度な小児性愛をもつ人々(以後、non-offending MAPs)にカウンセリングを施すことで、MAPsの状態の改善と、児童性虐待の実行を抑制できる
  2. non-offending MAPsも政府に報告する義務をカウンセラーに負わせると、non-offending MAPsがカウンセリングを避けるようになり、児童性的虐待が増える

ことを主張する論文だ。アメリカでは児童性愛者を州政府に報告する義務が既にあって、それの範囲の拡大が(論文を書かれていた当時)政策論争になっていたらしい。メンタルケアの専門家は反対だよ、報告義務が無いドイツではメンタルケアで状況が改善しているよと言う話が書いてある。

2. 社会的スティグマの作用

さて、御題の社会的スティグマの作用についての言及はあって、

According to minority stress theory, members of sexual minority groups are at increased risk for negative experiences and mental health problems due to being marginalized and discriminated against (Meyer 2003).(拙訳:マイノリティストレス理論によると、性的マイノリティのグループは周辺化され差別されることで、ネガティブな経験とメンタルヘルスのリスクに晒される (Meyer 2003)。)

の他、もっと具体的に

Public perceptions about people with minor-attraction are nearly universally negative, and common responses include fear, anger, and revulsion. For instance, there is a pervasive belief that MAPs are disgusting, dangerous, sick, perverted, pathetic, and immoral (Jahnke et al. 2015; Richards 2018), and that MAPs are “better off dead” (Jahnke et al. 2015, p. 24) even if they have never molested a child. Richards (2018) found that believing that sexual attraction to children is innate increased both the perceived dangerousness and blameworthiness of the individual, regardless of whether one had engaged in sexually abusive acts. There is skepticism that pedophilia is a mental illness and minor-attraction is perceived as an immutable lifestyle choice: “hang them…they don’t get better” (Richards 2018, p. 842). Unsurprisingly, these societal narratives are internalized by MAPs, infusing psychologically damaging beliefs into their own identity and deterring them from seeking help (Blagden et al. 2017).(拙訳:小児性愛をもつ人々に関する世間の認識は、ほとんど普遍的に否定的であり、恐怖、怒り、嫌悪を含む反応が一般的である。例えば、彼らが児童性的虐待を犯していないとしても、MAPsは非常に不快で、危険で、病的で、変態で、哀れで、ふしだらで (Jahnke et al. 2015; Richards 2018)、「死んだほうがマシ」という広くいきわたった信念がある(Jahnke et al. 2015, p. 24)。Richards (2018)は、児童への性的興味は生得的であると言う信念は、個々の小児性愛者が性的虐待行為に従事したことがあるか無いかに関わらず、小児性愛者の危険性と非難すべき不徳さ(blamableness)の両方への注意を引き上げることを発見した。ペドフィリアが精神疾患であることに懐疑論があり、軽度の小児性愛も不変の生活様式の選択だと認知されており、小児性愛者は「やつらを吊るせ…やつらはよくならない」と憎悪をぶつけられる(Richards 2018, p. 842)。当然だが、これらの社会的偏見は、MAPsに心理的ダメージを与える信念を彼ら自信のアイデンティティに吹き込んで内面化し、助けを求めることを妨げる。)

と説明されている。個人特定されないと、差別されることはない。心理的ダメージは個人特定されなくても作用するとは思うが、これが問題なのであろうか。心理的ダメージを受けることによって助けを探すことをやめるのかは、英文からは定かではなかった。誰もペドフィリアを救えないと言う偏見を内面化することで、セラピストに助けを求めなくなるとは書いてあるが、これは心理的ダメージであろうか。政府への報告義務化の議論からすると、個人特定されることを危惧して助けを求めなくなると言う議論に思える。

なお、通俗的蔑視発言の具体例は、ペドフィリアは犯罪を犯す前に死ねと言うような心無いものばかりであった。

3. 児童性虐待をしてしまうかどうかの境界

手嶋海嶺氏が紹介してくれた論文で、牽強付会を行なっておこう。児童性虐待が不徳なものか分かるようにペドフィリアと言う属性を非難すべきと言って来ているのだが、

Important differences have been found between non-offending MAPs and those convicted of crimes against children (Mitchell and Galupo 2018).Non-offending MAPs were more able to view CSA from the victim’s perspective and to recognize its diverse and long-term direct and indirect negative impacts. They understood that engaging in sexual activity with a minor would be harmful and exploitative, and that taking advantage of a youngster’s trust and vulnerability would have damaging and far-reaching effects (Cohen et al. 2018; Mitchell and Galupo 2018). Conversely, many individuals who committed sexual crimes against minors reported that they knew their behavior was illegal, but did not fully appreciate why abuse was so detrimental to children, or understand how severe the consequences would be to their victims and to themselves (Levenson et al. 2017; Mitchell and Galupo 2018).(拙訳:non-offending MAPsと児童への犯罪で有罪判決を受けたペドフィリアの重要な違いが見い出されている(Mitchell and Galupo 2018)。non-offending MAPsはもっと被害者視点で児童性虐待を見ることができ、多様で長期的な直接・間接の負の影響を理解することができた。彼らは未成年者との性行為は、有害で、収奪的で、子供の信頼と脆弱性を利用することは、損害を与えるもので、広範囲に及ぶ影響があることを理解していた(Cohen et al. 2018; Mitchell and Galupo 2018)。逆に、未成年者への性犯罪に従事した人々は、彼らの振る舞いが違法だと知ってはいたが、虐待がそんなに有害であるのはなぜか完全には認識していなかったか、どれぐらい彼らの犠牲者と彼ら自身に深刻な結果をもたらすか理解していなかった(Levenson et al. 2017; Mitchell and Galupo 2018)。)

と、犯罪に手を染めるか染めないかの違いについて書いてあって、ペドフィリアに児童性的虐待の害を啓蒙することの重要性が示されている*3

論文はセラピストの適切なカウンセリングで啓蒙しろと言っていて、世間様が非難して教えろとは言っていないから、ここからペドフィリアと言う属性を非難すべきと言う結論を導くのは牽強付会であるのには注意して欲しい。世間様の非難が啓蒙に貢献することを示す必要がある*4

追記(2023/02/04 00:27):この論文を紹介したら、セラピストのカウンセリングで本当に改善するのか疑う声が複数寄せられたのだが、以下のようにドイツでの事例で改善効果が観測されたそうだ。

Statutes in California, Pennsylvania, and Delaware now require therapists to report viewing of child pornography.(中略)An alternative strategy exists in Germany, where mandated reporting is not required and fear of legal consequences is less of a barrier to help-seeking. A voluntary treatment program called the Dunkelfeld Project used public service advertisements to proactively reach adults and teens with sexual preferences for children. In response, hundreds of MAPs in Germany have participated in prevention programs, resulting in some observed decreases in offensesupportive attitudes and risk related behaviors, and some reported improvements in sexual self-regulation (Beier et al. 2009, 2016). This model depicts an example of a preventive approach to protecting children from sexual abuse.(拙訳:カリフォルニア、ペンシルヴァニア、デラウェアの制定法は、セラピストに児童ポルノを観た人々を報告することを求めている。(中略)強制的な報告は求められず、法的効果の恐れが援助要請の障害となるほどないドイツには代替戦略がある。Dunkelfeld Projectと呼ばれる自発的治療プログラムが、小児性愛傾向を持つ13歳以上に事前に達するように、公共広告を用いて周知されている。これに応じてドイツの何百ものMAPsが、予防プログラムに参加し、犯罪支持姿勢(offense supportive attitudes)やリスク関連行動を減らした観察対象も、性的自己抑制を改善した者もいる(Beier et al. 2009, 2016)。このモデルは、性的虐待から子供たちを守る一つの予防手段の例を描いている。)

なお、Moen (2015)はBlameworthinessの節で、ペドフィリアを大袈裟に非難しても、むしろペドフィリアは議論の穴を見つけて自己の欲望を正当化しだすと指摘しているが、個々のペドフィリアの人格を全否定しようとする世論よりも、やんわりとペドフィリアの考え方を誘導するセラピストの方が、小児性犯罪の害悪をペドフィリアに説得するのに向いていると、Levenson, Grady and Morin (2019)の議論の補強に使うことができる。

4. スティグマは個人特定されなくても作用すると言うには

この論文から「ペドフィリアの社会的スティグマは個人特定されなくても作用する」と言うためには、カウンセラーから情報が漏洩する可能性が少しでもあり、社会的スティグマが大きいほどそれへの危惧が大きくなるので、社会的スティグマは小さい方が望ましいと言うように議論を構成しないといけない。中身をしっかり読んでから傍証として出して欲しかった。

5. ペドフィリア蔑視は必要悪

冒頭の手嶋海嶺氏とのやり取りは、もともと私が手嶋氏の「「医学的に認められた精神疾患の症状を道徳的に非難する」という行為の方が、むしろ相当に非道徳的・非人道的ではないか」に「違法/不徳な欲求を持つことを不徳と考え、蔑視するのは広く行われている行為だし、そういう蔑視がないと、それが不徳な事だと分からない人々も出てくる。」とレスをつけたところからの話であった。立ち返ってペドフィリア蔑視は必要か考えてみたのだが、やはり必要になる。

このLevenson, Grady and Morin (2019)も、non-offending MAPsを放置したら犯罪を犯す可能性が小さくないことを前提にしているわけで、ペドフィリアが犯罪因子であることは認めている。この論文にもペドフィリア蔑視があり、ペドフィリアの人に社会的スティグマをつけている。しかし、犯罪因子と認識することで、犯罪抑制策が提案できている。また、ペドフィリアの人もある種の自己嫌悪がなければ、メンタルに悩みがないと言うことになるので、カウンセラーに相談もしない。法律がおかしいので、法の網をかいくぐろうと言う発想されても困る。

もちろんペドフィリア蔑視は、社会厚生の改善を理由に正当化されるので、適度な範囲がある。この論文で紹介されていたような(訳する気がおきない)侮蔑表現であれば、過剰で無用の可能性はある。やたら罵っても、ペドフィリアの皆さんに、児童性愛の悪さは理解できないであろうし。

*1読み落としているのであれば、機械翻訳をかけたものではなく、英文で街頭箇所を指摘して欲しい。

*2児童ポルノ所持はnon-offending MPsにとどまる。

*3児童性虐待者の知的レベルが著しく低かったり、高学歴サイコパス的に勉強や仕事は理解できても、相手の都合にあわせる必要を感じないのであれば、啓蒙しても無駄そうではあるが、カウンセリングが有効と言う話なので少なくとも論文ではそのように考えていない。

*4むしろ、患者の尊厳に配慮しろみたいな事が書いてある、Strategies for Engaging MAPsの節の議論をよく読めば、世間様のペドフィリア非難がよくないと言えるかも知れない。

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