2022年8月7日日曜日

教育と行政の常識「子供の格差」を引き起こす親の経済力以外の"ある要素”

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てらっけー白饅頭こと御田寺圭氏がエッセイ*1で、保護者の経済力以外に「貧しい暮らしのなかに根深く共有されている習慣や文化や価値観こそが、そこで暮らす子供たちが得られる教育の質的・量的な乏しさをつくりだしている」が、それを指摘すると現代社会では差別主義者として非難されると主張しているのだが、教育格差の研究や、教育格差対策の政策では常識的な話となっている。

1. 教育研究では常識

生徒の家庭環境(SES)と言う概念があるのだが、これが勉強部屋や勉強机が用意されているか、保護者に子供の学習習慣を整える能力があるかなどを反映したものだ。白饅頭氏が指摘する「ある要素」が含まれた概念になる。直接は観察できないが、統計解析の手法の一つ共分散構造分析で、家庭所得・住まいの状況(e.g. 勉強部屋や勉強机の有無)・家の本の数・両親の学歴などから合成し、学力との相関を見るのは一般的な分析。ざっと検索しても、SESは富田・牟田 (2012),国立教育政策研究所「令和4年全国学力・学習状況調査」で用いられている概念で、SESと言う概念を用いていない篠ヶ谷・赤林 (2011)でも両親の学歴や勉強部屋や勉強机の有無は分析されている。

2. 行政では常識

アカデミックな場だけで一般的と思うかも知れないが、「生活困窮世帯の子どもの学習支援事業」実践事例集を見ていくと、家庭で学習ができない児童生徒のために自習室を提供したり、保護者に勉強を教わるのが困難な児童生徒でも個別に勉強を教わる機会が得られるように配慮されていることが分かる。経済力のみが問題だと考えられていれば、補助金を配って終わりだが、実際にはそんな事はない。星飛雄馬は自宅で筋トレしかできないし、星一徹は飛雄馬に勉強を教えることができないことは、教育研究や行政に関わるものであれば常識なのだ。教育現場でもそうであろう。

3. まとめ

御田寺圭氏が最近知った人々が教育格差の要因に詳しくなかったと言うのが御田寺氏の主張の根拠のようだが、名門大学の育ちの良い学生やそのまま優良企業に就職した人々が貧困層の実態に通じていないからと言って、社会科学の研究者や教育行政の担当者が状況を知らないと言うことではない。また、SNS上での言い争いだけが、この世の議論の全てでもない。

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