2022年7月17日日曜日

国葬は国民全体が喪に服する儀式で、弔問外交のためにあるわけではないよ

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岸田総理が暗殺された安倍元総理を国葬で弔うと決定したために*1、ネット界隈では賛否を巡って意見が交わされている。しかし、国葬が何であるか誤解があるようだ。

国語辞書的に定義されているわけではないのだが、慣例から考えれば、国葬は国民全体が喪に服する儀式に他ならない。戦前の国葬は、国葬令に基づいて実施され、国民全体が喪に服することが法律で定められていた。戦後の国葬儀は、行政措置として実施され、一般国民は哀悼の意を表するように協力を要望された*2

1. 戦後の国葬儀も国民あげて冥福を祈る儀式

吉田茂元総理の国葬儀の場合、「「国民あげて冥福を祈る」の大号令の下、当日は競馬や競輪などの公営競技が中止となり、テレビから歌謡曲やクイズなどの娯楽番組が消え、全国各地に鳴り響くサイレンに合わせて職場や街頭で黙とうがささげられた」*3そうだ。義務ではないが同調圧力は生じるようで、既に山口県教育委員会が葬儀のときに県立学校に国旗などの半旗を掲げるように要請する通知を出したと報じられている*4

2. 国葬儀でなければ弔問外交が不可能と言うことはない

国賓が来日するから国葬でなければいけないと言う議論をそこそこ見かけるのだが、これも根拠不明な誤解である。「2000年4月に小渕恵三首相(当時)が脳梗塞で倒れ、その後死去した際に行われた内閣・自民党合同葬には、米国や韓国の現職大統領が来日し、80以上の国・地域から特使が派遣された」*5そうだから、外国の要人来日は国葬(儀)の条件ではない。日本国で勝手に定める話なので、外国人は国葬か合同葬かなんて気にしない。

3. 当日を祝日したりしなければ、新たな立法は不要

ほとんど余談ではあるが、国葬儀にする法的な問題はない。根拠法が無いと言う声があるが、当日を祝日にしたりはしない方針なので、岸田総理は内閣府設置法の範囲で国葬儀を行なうと考えられるし、そもそも必要ならば与党はいつでも立法できる。

4. 安倍元総理の業績が国葬儀に相応しいのかに帰着

安倍元総理を従来の意味での国葬儀にするか否かの基準はやはり、安倍元総理が国民全員が喪に服すに値する業績を上げてきたかと言うところに帰着する。国家元首のように国民の敬意を集めることになっていれば、そのような想定に基づいて国葬儀にするのが相応しいかも知れないが、安倍元総理は国家元首であったことはない。岸田総理は安倍元総理が戦後最長の政権を維持したことなどを理由に国葬儀にたる業績だと評価しているが、野党の一部は国葬儀が安倍氏の政治的立場や政治姿勢を礼賛するものになると反対している*6。内心の自由を考えると、やはり従来の意味での国葬儀には無理がありそうだ。

5. 新たな21世紀の国葬の定義はアリ

ただし、新たな21世紀の国葬を定義してやることは無理ではない。国葬は国民全体が喪に服する儀式ではないと宣言するだけでよい。そんなに難しくない話のはずだが、安倍氏の扱いが吉田茂氏よりも軽くなってしまうのもまた事実。岸田総理に安倍元総理の支持者を取り込もうとする下心があれば、躊躇われるかも知れない。

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