2022年1月24日月曜日

表現の自由を擁護するのに日本国憲法よりも有用な文献

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手嶋海嶺氏の「オープンレターに見るキャンセルカルチャーの未来」と言うエッセイを拝読していて、手嶋氏は化学畑の人だから仕方が無いのだが、社会学者と同じぐらい道徳的な議論が上手くないなと思ったので指摘したい。社会学者と同じようなどん詰まり議論になっている*1。安易に日本国憲法を持ち出すのはよろしくない。

1. 日本国憲法条文から議論を組み立てるのは困難

憲法を含めた法律は、なかなか法曹でないと解釈が難しい。憲法は色々な権利を人々に保障しているわけだが、結果として権利と権利が衝突することになる。第21条で表現の自由を保障していると言っても、侮辱や名誉毀損やプライバシー侵害やわいせつ物頒布はんぷをする自由は無いと解釈されている。手嶋氏が参照していた第14条と第31条も行政と立法は拘束するが、私人や私企業は拘束しない。そして前文はともかく条文は理念が長々と書かれているモノでもない。実務的には憲法は参照せざるを得ないのだが、そもそも我々はこうあるべき論はしづらいのだ。

2. 教えて!ジョン・スチュワート・ミル!

表現の自由の正当化を行いたいのであれば、憲法を書いた人々に影響を与えた古典を引いてくる方が手っ取り早い*2。法的拘束能力は無いが、その理念は世界に知られた一級品。ジョン・スチュワート・ミル『自由論』の第2章「思想および言論の自由について」を読む…までもないかも知れない。紹介すると、

  1. 一般に認められた権威の意見が誤りであって、他の意見が真理であるかも知れない
  2. 権威の意見と他の意見がそれぞれ部分的な真実を含む可能性がある
  3. 権威の意見が真実であっても、その真理性を明確に理解し、説得的なものにするためには、反対意見と比較検討しなければならない
  4. 反対意見と比較検討し続けなければ、権威の意見も形骸化する

ゆえに、言論の自由は重要だ。このミルの議論と、言論とその他の表現の線引きが困難である事実から、表現の自由が保障されることになっている*3

3. とりあえず議論している内容には足りるはず

エロティックな表現物を創作し楽しむ権利を擁護するためには、人生いろいろと試行錯誤してみて楽しみを見つけるものなの的な幸福追求に関する別の章の議論も参照すべきだと思うが、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」の差出人らが認定する女性差別文化の担い手を標的にしたキャンセルカルチャーを非難する手嶋氏の主張の範囲では第2章の部分だけで十分だ。短いし、一昨年、新訳も出た。ただし、女性の表現物批判を揶揄することを女性差別的としていたりと、異論の存在を許さないと言うだけではなく、議論の仕方についても強い主張があったりするので、オープンレターの主張すべての批判するには十分ではない*4

*1関連記事:社会学者は、違憲や違法と批判的レベルの理屈にならない運動家節を唱えるのをやめるべき

*2古典なら何でもよいと言うわけではなく、学問上や重要だが、現実的にはアレなカントの義務倫理を引っ張ってくると話がおかしくなる(関連記事: 自分で考えすぎた人の話――カント哲学入門)。応用功利主義者のピーター・シンガーあたりの議論が参照しやすい…が、ヴィーガンまっしぐらになる。

*3ネット界隈の表現の自由戦士の皆様は、この表現の自由を正当化する議論をなぜか知らないため、論敵になるツイフェミの萌え絵に否定的な意見の存在を許せなくなるようだが、少なくともミルの議論からは肯定されない(関連記事:表現の自由戦士は、それがツイフェミのものであって同意できなくても、表現物への批判の存在を受容しないといけない)。

*4関連記事:オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」は、人格への中傷ではなく、主張への批判に対して、社会的制裁を加えろと呼びかけている

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