…と言ってしまっても制裁を受けない社会でないと、民主制度は十分に機能しない。
昨年の秋ごろから、武蔵大学の北村紗衣氏が弁護士を通して多数の人物に、自身や自身が関わった声明に対する言及、批判、誹謗中傷をやめるように要請していることが明らかになって*1、議論を呼んでいる。言及と批判はさておき、侮辱や名誉毀損は違法行為なのでやめるべきと言うのは御尤もなのだが、誹謗中傷もある程度は受忍しないと、主張をするのが窮屈になるだけではなく、人によっては困難で不可能になることを指摘しておきたい。
誰しも誹謗中傷をしてしまうことはある。例えば1年とちょっと前に、草津町の町議リコール騒動を、悪人の町長が他の町民とともに善人の弟を圧迫し孤立させるイプセン『民衆の敵』と言う戯曲と同じとした女性がいるのだが、草津町長と町議のどちらが正しいかなんて分からないわけで*2、草津町長と草津町民を誹謗中傷したことになる。この女性は、普段は侮辱や名誉毀損に該当する発言は行っていないが、たまたま不用意な発言をしてしまった。草津町長はこの女性の職場に、この女性に発言を謝罪撤回させるように求めるべきであろうか。
さらに、誹謗中傷なしでは意見表明が困難な人々もいる。例えば、財政やマクロ経済学の学者で「増税に賛成するなんて、人殺し!」などと言われている人はかなり多い*3。誹謗中傷でケシカランのは間違いないのだが、自身が抱える不満を誹謗中傷でしか表現できないのだ。誹謗中傷や名誉毀損は平均的な学力と自制心があれば日常的にはしないで済むと思うけれども、我々の社会は学力と自制心が十分な人々ばかりで構成されているわけではない。学力があっても批評に必要な知識が十分でなく、頓珍漢な根拠で他者を罵倒してしまうこともある。
誹謗中傷をすべき、誹謗中傷をしても良いと言う話ではない。不徳な行為も受忍しなければいけないと言うことだ。誹謗中傷に法的制裁や社会的制裁を積極的に加えていくと、誹謗中傷なしでは意見表明が困難な人々の口を封じてしまうことになる。不満を持つ人々の声を最初から封じてしまう社会になるわけで、人々の声を拾う民主制度と言うシステムが機能しないことになる。実際に何か主張してもらえれば、もっと穏当な表現が示唆されるかも知れないのに。
もちろん程度問題だから、社会通念上許される限度を超えない程度まで甘受べきと言うことになり、法廷闘争になれば裁判官がそれを判断することになる。しかし、法曹でなくても誹謗中傷を許容すべきか抑制するか、抑制するとしてもどのように行うかの判断を迫られることはある。職務に関しては厳しい自制を求めるべきだが、SNSにおける誹謗中傷はどうであろうか。私のこの文に「何を根拠に言っているのか。それこそ妄想じゃん。バカ。」「キチガイな事ばかり書いている。」「うんこブロガー。」と言うのはどうであろうか。私はそれぐらいの罵詈雑言は受忍したい*4。言っている人の品性は疑うが。
*1高橋雄一郎弁護士はオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」に言及するなと要請され、歴史学者の呉座勇一氏は実質的にオープンレターに言及しないように要請され、雁琳氏は誹謗中傷をやめるように、もしくは過去のツイートのいくつかを削除謝罪するように言われたようだ。御田寺圭氏も何か出版社経由で要請されたとしている。
*2女性のツイートはリコール成立時、リコール無効裁判前のものとなる。町議の説明に説得力がなかったことがリコール成立の主な原因に思える(関連記事:群馬県草津町の新井議員のリコール成立でわかる誤った告発方法)。
*3歳出削減が余命に影響するという話が、緊縮財政が余命に影響するという話になって、増税が余命に影響するという話に転化したきらいがある(関連記事:社会福祉の維持のための増税の是非も議論して欲しい『経済政策で人は死ぬか?』)。
*4匿名アカウントへの誹謗中傷は違法ではないので、私が匿名である限りは合法で言える。この意味で、実名ではない私が言うのはおこがましい主張ではある。
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