2021年11月9日火曜日

『科学哲学の冒険』を読んで社会構成主義者を撲滅しよう

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ネット界隈での言い争いで、主張が科学的におかしいと批判されると、科学も社会から影響を受けるもので絶対ではないと言い出し、自説を維持しようとする人々がいる。主張の科学的根拠の信憑性ではなく、科学全体を疑いだす論点すり替え論法と言う詭弁なのだが、あえて話を逸らされてみると、科学と言う営みの正当性どころか、そもそも科学とは何かを説明するのも難しいのが分かる。

科学哲学の冒険』は、ヒュームの呪いやポパーの反証可能性ぐらいからの科学哲学を、架空の登場人物センセイ、リカ、テツオの3人の対話で俯瞰していく本。演繹や帰納が何かぐらいから説明してくれるし、まとめと長々した注釈が間に入るので、分類すればテキスト。自然主義と科学的実在論に持って行きたいと宣言してあるが、初学者向けだけに実在論がどの程度擁護できるか、反実在論がどう強力なのか説明しているに留まっている。社会構成主義(観念論)がダメなことははっきり分かるので、上述の詭弁は打破でいるのだが。実在とか意味論とか人文系の人が振り回す用語に慣れることができるし、理工系の人や、社会科学方面の人が読むと、学ぶことは多いであろう。分量的にもすぐに読み終わる。

初学者向けの入門書だけに、もやもや感が残るところはある。理論を、蓄積された知見をまとめものと考える操作主義と、現象論的法則をまとめて予測に役立てるためのものとする道具主義がうまくいかない理由の説明は「字面とは違ったことを本当は意味しているんだと言うわけで、ここに無理がある」(p.154)とあるのだが、理解できなかった。科学的非実在論者が非実在とする観察不能な科学的対象の例として電子が出てくるのだが、操作主義でも道具主義でも構成的経験主義でも問題が無さそうに思える。電子については直接観測はできないが、中が水蒸気やアルコールが過飽和状態の霧箱を使えば(宇宙線由来のβ線の飛跡が見えるので)検知はできるという話(pp.175–176)があるのだが、歴史的には1859年にJulius Plückerが低圧ガス中での放電の実験のときにガラス管の壁面が光っているのを見たのが初観測。陰極と壁面の間に遮蔽物があると影ができることから陰極から出てまっすぐ進む何かが壁面を光らせていると分かり陰極線と命名され、磁石で動くのでそれが粒子だと分かり、中が真空に近いガラス管(冷陰極線管/クルックス管; 上画像)で陰極線が風車かざぐるまを回すことから質量があることが分かり、電場でも陰極線が動くことから電荷を帯びていることが分かった。そして、陰極線以外の研究成果も統合して理論がつくられていき、陰極線が電子として認識される。操作主義の面も、道具主義の面も、知見を十全に説明する構成的経験主義の面もあるはずだ。介入可能な現象論的法則である陰極線は電子のビームなので、電子は実在すると言ってもよい気がするのだが。

巻末に読書案内もあるし、もっと学べという事であろう。私はヒュームとポパー以外の紹介を読めて、社会構成主義者に科学と独立した世界の存在と秩序(著者の命名で独立性テーゼ)を認めることと、科学で世界のありかたを知ることができること(〃知識テーゼ)を認めることを混同していると言える様になっただけでも満足感があるのだが、気になる人はずぶずぶと科学哲学に踏み込んで欲しい。私は…まぁ、いいかな(´・ω・`)ショボーン

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