2021年7月26日月曜日

尊厳 — その歴史と意味

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哲学者マイケル・ローゼンの『尊厳 — その歴史と意味』がネット界隈の哲学クラスターでぼちぼちと言及されている。尊厳はそこそこよく見かける単語であり、尊厳と言わなくても尊厳を問題にしている気がする不満や苦情は多々ある一方で、厳密にはよく分からない単語でもある。本書は、尊厳と言う単語が何を意味してきたかを整理し、尊厳を尊重すべき道徳的根拠を考察した本だ。

1. 尊厳とは

第1章「空っぽ頭の道徳家たちの合い言葉」で、哲学史から尊厳の定義を、第2章「尊厳の法制化」で、現代社会の実務でどう定義されてきたかを整理するところまでは、受け入れやすい。

(私が理解できた範囲では)尊厳は、在るべき在り方、例えば、人々がその地位にふさわしい扱いを受けること、人々がその地位にふさわしい振る舞いをすることを指している。人や物の在るべき在り方は思想によって様々で、時代や地域によって異なる。カント哲学とカトリック思想における尊厳は異なるし、さらにカトリックは何が誰にふさわしいのかを時代にあわせて変えてきている*1。司法を見ても、米国では尊厳を自律の権利*2と同じだと見なしているが、ドイツでは自律については考慮されない*3。このため、例えば侮辱表現が尊厳を侵害するかについて、米国リベラルとドイツで見解が大きく異なっている。

2. 尊厳を尊重すべき道徳的根拠

第3章「人間性に対する義務」で、神の教えなしに尊厳を尊重すべきと言えるのかを考察しているのだが、ここの議論を受け入れるのが難しい。

人間主義、具体的には功利主義では、尊厳の重要性を説明しきれない。著者によると、人々は死体や胎児などの人格と認められないものの尊厳も尊重する。功利主義は人格の利益を考慮するので、(パーソン論から将来に関する欲求を持つことができない)死体や胎児などの尊厳はどうでもよくなってしまう。浮気を悟らせない不誠実な恋人を持つ女性は幸福とはいえない(pp.171–172)と言う福利に関する在外主義の立場をとれば、かつて人格であった死体の利益も考慮すべきだとは言えるかも知れないが、胎児の尊厳を尊重すべき理由は出てこない。なお、進化心理学によって説明される生得的な不合理さ(偏見)を道徳的根拠に考える試みは、どのような人間の振る舞いでも説明できてしまう一方、根拠に乏しいと言う理由で退けられている(pp.168–169)。また、徳倫理も人間主義だそうだが(p.180)、ダメな理由は書いていなかった*4

死体や胎児に尊厳があると強く信じる著者(p.169)は、カント的な義務倫理を用いて、道徳的に尊厳を尊重すべき理由を説明する。第1章で「尊厳をもって人びとに接することは、すなわち、敬意をもって接することだ」(p.80)と言う尊厳があるための要素を見い出しているのだが、この観点を発展させて「他者の人間性を敬わなければ、私たちは実際に自分のなかの人間性をも掘り崩してしまう」(pp.203–204)から、他者の尊厳を尊重すべきなのだそうだ。(私の理解が正しければ)尊厳ある者に相応しい行いの中に、他者の尊厳の尊重が入っているから、尊厳ある人格のあなたは、他者の尊厳を尊重しましょうと言う理屈。

3. 感想 — 結論は受け入れ難い

素人考えだが、この結論を受け入れる前に気になることが多々ある。死体や胎児の尊厳はそこまで重視されていない。遭難時に先に死んだ同行者を食べた事例もあるし、死姦をしても強姦罪にはならない。生命科学分野の研究者は(胎児ではないが)受精卵を、どうせ廃棄するのだから研究に使わせろと言って来る*5。単に不道徳な人々なのかも知れないが、死体や胎児の尊厳も重視されているのかは疑念が残る。他者の尊厳を尊重しない人は、尊厳が無い振る舞いをしていると、当人が見なすかと言うのもよく分からない。悪逆非道とされる支配者、ネロや紂王は自分たちをどう考えていたのであろうか。さらに、この定義だと尊厳ある者{が/に}行うのにふさわしい行為を具体的に定めるのは困難だ。

こういうわけで、尊厳と言う単語が何を意味するかについて著者の整理を受け入れることはできそうな一方で、著者が考える尊厳を尊重すべき理由はちょっと受け入れるのが難しかった。もちろん、尊厳と言う概念を振り回したい人には役立つ本なので、読む価値がないと言う話ではない。

*11659年と1881年では、社会階層や性別に応じた尊厳があるとしていた(pp.24–25, pp.63–67)が、1998年には平等主義的になっている(p.68)。

*2「どのように生きるか(そして死ぬか)を個人が自分で選択する権利」(p.160)

*3まとめの節ではドイツ司法は「敬意を欠く表現をすることが尊厳の侵害」と限定的な解釈をしている(p.160)とあるのだが、乗客・乗員もろともハイジャックされた航空機を撃墜するドイツの航空安全法は、乗客・乗員の尊厳(と不可侵の権利)を侵害するから違憲とされた事例を紹介(pp.134–136)しており、「敬意を欠く行為」としないと一貫性が無くなる。なお、尊厳の意味を限定して解釈していると言うのは、地位にふさわしい振る舞いについて考慮しないからだと思われる。ハイジャックされ自爆テロに巻き込まれる乗客・乗員が、自らの命をほんの少し永らえるよりも、地上の被害を減らそうと選択するであろう事は無視されたことが、指摘されていた。

*4功利主義と同様に、生得的な不合理さ(偏見)が必要になるからだと、著者は考えているのであろう。エウダイモニア(幸福)は努力して習得するものな気もするのだが。なお、徳倫理主義者の現代版コミュタリアンのサンデル教授は、著作で尊厳の重要性について取り上げている(関連記事:リベラリズムの倫理を批判し共同体主義を説く本『これからの「正義」の話をしよう』)。

*5関連記事:ヒトES細胞を試料に用いるための生命科学者による倫理的正当化

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