2019年12月26日木曜日

ジェンダー社会学者「狂言による痴漢冤罪を警戒するのは女性叩きだ」

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痴漢冤罪事件に関して、メディアにおける痴漢の論説が御専門のジェンダー社会学者の牧野雅子氏のエッセイ*1と、氏へのインタビュー記事*2が出ていて拝読したのだが、被害を訴える女性の立場を擁護したいためか、それとも御自信の研究の宣伝のためか、主張に関係のないことを強調する一方、説明しないといけないことを省略している気がするので指摘したい。また、狂言を怖れ警戒することは、「女性叩き」とは言えない。

1. 具体的な捜査方法の改善点の説明がいる

牧野氏の主張は、大半の痴漢冤罪事件は、女性が示談金目的などで狂言を行ったためではなく*3、被害者の女性が犯人を誤認したものであり、それも警察や検察のずさんな捜査が無ければ冤罪にはならなかったわけで、警察や検察の捜査が改善した現在では痴漢冤罪事件は起きずらいと言うものだが、1980年代前半の男性向け週刊誌が痴漢に寛容であり、一部では痴漢を推奨するかのような内容であった*4、2000年代に痴漢冤罪が問題になるとそのような記事が消えたと主張の裏づけにならない議論を展開する一方、捜査方法のどの部分が杜撰だったのか、それがどのように改善されたのか、どの程度の実効性を持つものなのかについては、どちらの記事でも言及されていない。

2. 現在も虚偽告訴が原理的に起きないわけではない

確かにここ10年間で、冤罪の可能性を以前よりも考慮した判例が出たことを受けて、警察や検察が方針を変えて捜査が改善されつつあるとの報道や法曹の指摘はみる。東京地裁では痴漢事件の勾留請求を原則認めない運用が定着していると報じられ*5、長期拘留で被疑者の自白を促す所謂人質司法は抑制されていることが分かる。しかし、捜査方法の適切さはイチゼロで判定できるものではなく、改善されたとしても十分とは限らない。2009年4月14日に最高裁で逆転無罪が確定した潮目を変えることになった事件では、人的証拠や物的証拠が無い事に加えて、被害者証言の信憑性に疑義がつけられている。目撃証言や物証が無いと有罪にならなくなったわけではない。2016年3月25日の警察庁の「電車内における痴漢対策の推進について(通達)」を見ても、「電車内の痴漢事犯は…目撃者の確保が困難で人的証拠や物的証拠に乏しく、被害者の供述等により事実認定を行うことが少なくない」とあり、依然として被害者供述に依存していることが分かる。牧野氏も、最高裁判例を受けた2009年の警察庁通達の後も誤認逮捕が起きていることを認めている。被害者の供述のみで立件されるのがレアケースと言われる*6現在でも、被害者女性の犯人誤認や悪意のある女性の狂言によって、痴漢冤罪が生じる可能性は排除されていないのでは無いであろうか。実際問題、満員電車で犯人を誤認したのか狂言なのかは識別するのは困難であり、犯人誤認とされているものの中に虚偽告訴が入っていないとも言えない。牧野氏の主張が成立するには、狂言による痴漢冤罪が生じる可能性は排除しないといけない。

3. ジェンダー対立にミスリードしている

裁判所と捜査機関の方針がもたらした結果に関する議論の他にも、牧野氏の主張には不用意なところがある。牧野氏は「痴漢冤罪被害に遭うのは女性のせいだとする言説」が跋扈しているかのように主張しているが、狂言事件以外で明確に被害を申告する女性に法的責任があると主張するものを、二つの記事では言及していない。牧野氏は「女性叩きのために痴漢冤罪が利用されている」と主張し、その例として示談金目当てで狂言で痴漢被害を訴える女性を警戒する言説*7に言及しているのだが、悪意をもった女性の存在を考慮するだけの議論を、男女の対立にミスリードしようとしている。女性が痴漢や盗撮に備えることは「男性叩き」とは言えないのと同様に、狂言で性犯罪を申告する女性に備えることは「女性叩き」とは言えない。単なる司法・行政の問題に、ジェンダー間の対立を無闇に見出さなくてもよいのでは無いであろうか。

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