2018年11月21日水曜日

リンゴか恋人かの選択ができるのであれば、それと整合的な効用関数をつくることができる

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朝日新聞の『(経済気象台)行動経済学は「学」か』が経済学徒の困惑を呼んでいる。「第一線で活躍している経済人、学者ら社外筆者」が書いているはずなのだが、人間行動の観察は政治学の領分と政治学者でも言いそうに無いことを主張しており、経済学における効用の理解も変なことになっている。

経済学の基本概念である「効用」にしても、人間が「欲のある生き物」だから出てくるものだ。人の欲望は主観的かつ刹那(せつな)的、そもそも次元 の違う様々な欲望の共通指標などそう簡単に作れるものではない。3個のリンゴと彼女とのデートの効用は数値では比較できない。それでも人間はその時その時の状況で選択し行動している。それが市井人の生き様というものではないか。

人々は、(a)3個のリンゴを貰うことと(b)恋人とデートすることの2つの状態を選択しているのだから、どちらかを選好していると言える。状態に選好順序がつくれるのであれば、数字が大きい方がより好まれるとして、選好順序と整合的な値を状態それぞれにふることができる。経済学では、この仮想的な値を効用と呼び*1、状態に応じて効用を算出する効用関数なるものを議論の都合で考える。何はともあれ、リンゴと恋人の選択ができるのであれば、それと整合的な効用関数をつくることができる。

*1倫理学の功利主義では、もう少し効用に客観的な幸福度のような強い意味を与えている。経済学では効用がaが2でbが1でも、aが200でbが1でもa≽bで同じことになるが、功利主義では人々の効用を合算するので異なる結果をもたらす場合が出てくる。

恋人同士がいて、片方がaで2、bで1の効用が得られ、片方がaで1、bで3の効用が得られるのであれば、功利主義的にはデートすべしになるが、片方がaで4、bで1の効用が得られ、片方がaで1、bで3の効用が得られるのであれば、リンゴを食べるべしと結論が変わってしまう。

なお、ゲーム理論の男女の争いのような話にはならない。リンゴは一人で食べられるので、ナッシュ均衡はリンゴを食べるである。

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