2018年5月4日金曜日

阿部幸大の文化と教育の地域格差論の虚偽部分以外の問題点

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ニューヨーク州立大学の博士課程に在籍中の阿部幸大氏の『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』『大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか』が、自身の体験を大げさに書いて注目を集めようとした虚構に基づく話だと非難されていた*1。事実関係は大事で非難も妥当なのであろうが、それ以外にも難が色々とあるので指摘しておきたい。

阿部氏は最初に文化と教育の地域格差があることを指摘し、それは貧富の差によるものだけではないと主張の要点を明示しているのだが、読み進めると文化の差の話は消失する。実際、どれぐらい勉強や進学が促進される環境か否かを議論しており、教育格差と言うか進学率格差に回収されている。進学を促すものこそ文化と言う定義もできるかも知れないが、それは自明ではないので議論が欲しい。

代表的地方である釧路市では、教育や文化にお金を使うという発想そのものが不在で、中卒や高卒と言う学歴で満足する環境があるから進学率が低いと言う主張を受け入れるにしろ、この主張が全体に維持されていない。学力が高くないと大学進学が薦められないと言うのは、都市部でも同様であろう。学力が高くても少年院送りになって進学できないと言う話は、教育と言うよりは治安もしくは道徳の問題である。

比較対象も良くなくて、都内の名門高校、具体的には筑波大学附属駒場と阿部氏の出身校の釧路湖陵高校の比較になっている。都内には色々な高校があるのだが、その中で筑駒はかなりの上位層に位置する。通学している人々の家庭環境もだいたい良い。阿部氏の議論においては親類や御近所の影響も多大に含まれているので、せめて中堅以下の都立高校を釧路湖陵高校と比較するべきであった。阿部氏の言う釧路に、お金持ちの良い御家庭があれば、子息を全寮制の進学校に入れるはずだ。

個人的体験から地域格差を語っても良いと思うが、先行研究に対する調べが悪いと言うか、少なくとも教育の地域格差について、社会学者などの研究をまったく言及しないのは問題*2。田舎で生まれ育つと大学に進学しようとする想像力が欠如するという主張をサポートしているとも言い切れないかも知れないが、教育の地域格差が存在する根拠になるし、「語られざる格差」なんて間抜けな事を言わないで済んだ。

ざっと見て問題点は四つあり、他に誇張がある。釧路市と言う特定地域を卑下する主張なので、もっと慎重に作文をするべきであった。漫画家の魔夜峰央氏は、所沢から転居したために申し訳なくなって『翔んで埼玉』を続けることができなくなったそうだが、それぐらいの謙虚さは必要である。ネットで心が折れないための10の作文技法をまとめてあるので、阿部幸大氏にもよく読んで欲しい。

*1『東大に入って絶望した田舎者』阿部幸大氏のウソを、彼の卒業した高校元教員が指摘 - Togetter

*25月1日の言い訳編の方には「地域格差を研究する社会学者からはむしろ賛同を得ている」とあるのだが、その社会学者の研究が阿部氏の主張そのままになっていたりしないであろうか。その場合は「語られざる格差」ではなくなってしまう。

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