2015年8月18日火曜日

あるマルクス経済学者のプロパガンダ(17)(18)

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放置していたのだが、マルクス経済学者の松尾匡氏の連載『「生身の個人にとっての自由」の潮流の中のマルクス』『マルクスによる自由論の「美しい」解決』を今更、拝読してみた。マルクス経済学を学んだ事も無いし、マルクス哲学を位置づけられるほど哲学を学んでいるわけでも無いから、未知の世界に突入していて批評不能になっている。「疎外」や「物象化」と言った単語の簡単な説明になっているから、マルクス経済学の雰囲気の紹介になっている事は分かるのだが。今まで見てきたので感想だけを書いておきたい。

1. “疎外をもたらす物象化した存在”に問題はあるのか?

資本主義社会には、“疎外をもたらす物象化した存在”があるらしく、人々を支配し抑圧してくるらしい。支配され抑圧される事が問題だと言っているのだと思うが、もっと説明が欲しい。それが何故問題になるのか、はっきりと分からない。それが人々の厚生を下げると言えるのであろうか。

独裁者が社会システムを決定しているわけでも無いから、暴虐な君主の圧制を想定しているわけではない。もっとも“疎外をもたらす物象化した存在”は、『全体を調整する「考え方」が遊離して有無を言わせず支配してくる』、『人間の外に一人立ちし、「生身の個々人」を縛り、コントロールしてくる』、『実は「物」ではなく、正体は人間の「思い込み」「観念」』と書かれている。

上の説明を読む限り、“疎外をもたらす物象化した存在”は、完全競争市場における賃金率を含む価格な気がしてくる。人間の外に一人立ちしているわけで、価格支配力のある人間はいない事になっているからだ。「媒介者」はいないわけで、何か問題をもたらすようには思えない。

2. 普遍的労働者だけの世界は自然発生しないのか?

普遍的労働者だけの世界が、『革命的エリートの知識人が一段高いところで世の中の合理的な組織のしかた(「真の普遍」!)を考案し、「上から目線」で指示を垂れる』ことで作り出されるようになっている。生産効率の観点から機械制大工業に移行し、普遍的労働者だけの世界に勝手になると、マルクス経済学の大前提では想定されているのではないであろうか。誤解?

3. 固定的人間関係がメジャーなシステムとして復活した時代?

英米では流動的な雇用習慣だし、英米でも欧州でも日本でも流動的人間関係を前提にした社会保障制度が構築・拡大されてきたわけで、固定的人間関係がメジャーなシステムとして復活した時代は何時、どこでなのかが気になった。ここを明確に示さないと「転換X」がそもそも存在しない事になるので、連載全体のテーマが怪しくなる。戦後の日本型終身雇用をイメージしている気がするのだが、それも地方から出てきて首都圏に勤務する人が多数いるわけで、ずっと社会は流動化していっているように思えなくもない。

4. 絵が大きすぎてマルクス経済学は分からない

独占利潤が~情報の非対称性が~とモデル内だけでも数理的に明確に定義して議論を進められる近代経済学育ちから見ると、哲学的に用語を定義して大きな議論を進めるマルクス経済学は、絵が大きすぎて検証不可能な議論をしているように思える。疎外と言われても「だから何?消費や余暇のように量れるモノを議論しろ」と思ってしまうわけで、文化ギャップがとても大きいなと感じた。疎外と言う単語にはネガティブな語感があるのは否定しないが、なぜネガティブなのか説明されないと問題に感じていいのか分からない。マルクス経済学の厚生基準はどうなっているのであろうか。

2 コメント:

松尾匡 さんのコメント...

久しぶりにご検討いただいてありがとうございます。

2.ですが、
『革命的エリートの知識人が一段高いところで世の中の合理的な組織のしかた(「真の普遍」!)を考案し、「上から目線」で指示を垂れる』
は、マルクスが批判した、サン・シモンやブランキの主張を解説したものです。これは、マルクスの発想ではなかったものというのが私見です。

1. については、協調の失敗で。多くの人にとって厚生が改善される均衡への移行ができないことをイメージしてもらえばいいです。

3.の「固定的人間関係」「流動的人間関係」はこの連載後半を通じた独自のジャーゴンで、この部分の文脈では「組織」と「市場」をイメージすればいいです。19世紀と比べて20世紀は「組織」の比重が大きくなったということを言いたいわけです。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡さん

お久しぶりです。

> マルクスが批判した、サン・シモンやブランキの主張を解説したものです。これは、マルクスの発想ではなかったものというのが私見です。

なるほどです。

> 1. については、協調の失敗で。多くの人にとって厚生が改善される均衡への移行ができないことをイメージしてもらえばいいです。

「疎外」と言う語感とちょっと合わない気もするのですが、そういうことですか。

> 19世紀と比べて20世紀は「組織」の比重が大きくなったということを言いたい

産業革命以前の村社会的な共同体における固定的人間関係と、組織の従業員間の固定的人間関係は、関係構築方法や役割が違うので、「復活」と言っていいのかが気になる所です。

日本企業が固定的人間関係を持つといっても、それは英米と比較してのことで、村社会のそれと比較するとずっと流動的ですから。

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