2014年8月8日金曜日

子供の福祉を理由に女性の就労を促進するのは無理がある

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政府は、女性の社会進出の促進と少子化対策を両立させようと、「子育て支援員」と言う准保育士を作って保育士資格を緩和するそうだ。これに対して社会学者の柴田悠氏が、そもそも保育士の賃金が他業種に負けている状態で、保育士資格の保有者が保育に携わらないのだから、保育士の拡充は意味が無いと批判している(SYNODOS)。財源を充てて保育士の待遇改善を試みる必要があり、そのためには相続税の拡充が望ましいそうだ。そう変な話ではないのだが、主に3ページ目のところになるが、色々と気になった所があるから指摘したい。

1. 子供の福祉を理由に女性の就労を促進するのは無理がある

子供の養育環境を整える倫理的な必要性から、子持ち女性の就労を促進する「子育て支援」が優先されなければならないと言う議論がされているが、この論理には無理がある。

「子育て支援」は子持ちの働く女性全般が受ける福祉*1で、貧困家庭を対象とする話ではない。開発途上国でもあるまいし女性が就労しないと、金銭的に育児ができないとは言えないはずだ*2。むしろ、母親が家庭にいるほうが養育によいと主張する人々もいる。政策的にも、保育の拡充による就労促進ではなく、現金支給の生活費支援もあり得る。それなりの金額の「子ども手当」をつけた場合、働きながら子供を育てる女性は減るかも知れない。しかし、これに倫理的な問題はないはずだ。

育児のための離職が生活水準を引き下げるので、それを嫌う女性が出産をためらう事になり、全般的に出生率を引き下げていると言う実証的な議論をした上で、出生率向上を目的に保育サービスの拡充を訴えれば良いのだと思うのだが、なぜ倫理を持ち出したのであろうか。

追記(2014/08/08 17:54):書き忘れていたのだが、現状で貧困家庭は安価かつ優先的に保育園を利用できる地方自治体が多く、貧困家庭は既に「子育て支援」を受けていることになる。

2. 経済を理由に女性の就労を促進するのも一筋縄ではいかない

子持ち女性の労働参加は、経済の面では費用対効果が問題になってくる。保育コストが高すぎて払えないと言う事は、外部労働をしてもらわない方が効率的である可能性が残る*3。こう考えると子供の年齢によって女性の労働参加は控えてもらう方が望ましいこともあるし、待機児童の解消は保育サービスの供給拡大ではなく、保育サービスの価格引き上げで実現すべき事になるであろう。経済を理由に女性の就労を促進するのも一筋縄ではいかない。

3. 子どもの「相対的」貧困は問題なのか?

「相対的貧困の再生産」と言うのは「相対的」が余分では無いであろうか。資産の相続が格差を再生産することは、理論的によく議論されている*4。しかし、その理由は教育機会で説明されていたりするわけで、これは学校に行く費用がないと言う「絶対的」貧困によってもたらされるものだ。そしてこの議論で言うと、学資ローンがあれば、貧富の格差があっても問題は解決する*5。貧困の再生産と言う文脈では、相対的貧困は問題ないであろう。

4. 女性の就労機会の拡大が相対的貧困を改善するか?

女性にも能力差があるわけで、保育園が拡充されて働きながら就労できるようになっても、家計間の所得格差が狭まるとは限らない。むしろ、夫と妻がともに高所得者のパワーカップルの子育てが有利になって高所得世帯の子供が増える一方、妻が低所得で時間的余裕のある家庭の状況はそんなに変わらず、相対的貧困が悪化する可能性さえある。相対的貧困が問題なのであれば、女性の就労機会の拡大は効果的な政策とは言えない。

5. 相続税の倫理的な正当性は主張できるか?

社会保障でそれを支援すると言う事は、誰かが犠牲になると言うことだ。犠牲があるとパレート改善にならないので、何か強い社会厚生基準を置かないと、是非を判断することができない。相続税も、自分の子供に遺産を残したいと考えている人は意思を貫けない事になるし、相続人も利益を失う。住み慣れた家屋も相続財産になりうるわけで、課税強化すれば不満を募らせる人はいるであろう。

6. 相続税・贈与税は取り扱いが難しい

意外に家計の資産額を把握するのは難しく、税率の低い海外に移住してしまうケースもある。引退した金持ちがフランスからベルギーに移住していると言う話があるが、日本でも消費者ローン大手の武富士の創業者の長男が香港に移住することで、相続税贈与税の課税を免れた例がある。福祉国家のスウェーデンは相続税をとっていない。ピケティの課税案も紹介されていたが、そんなに効果的な方法ではないと言う批判もある*6

7. 触れないで議論する方が、気楽なこと

社会学者の一般的な傾向に思えるが、全般的に良いとされている事や、問題になっている事を素朴に受け入れて、政策論を展開している。しかも、それらが倫理的に正しいと思っているようだ。女性の労働参加の拡大や、相対的貧困率の削減は、よく政策目標としてあげられているが、それの是非も本当は考えておく必要がある。

相対的貧困率などを、放置しておくべきだと言うことではない。その意味を正しく理解しなければ、必要な政策を打てないと言う事だ。例えば貧困の再生産の拡大にならなくても、子どもに劣等感を感じる相対的貧困を味あわせたくない家庭が多くあり、出産・育児を諦めているとしよう。進学機会や就業機会だけではなく、出銭ランド*7など高額テーマパークに遊びに行く機会も提供する必要が出てくる。

何はともあれ、必要性や正当性を主張するのは骨が折れる仕事だ。特に、道徳を理由にすると無理が生じやすい。それを望む女性が、就労と育児を両立させられれば素晴らしいと言うのは直観的には分かるが、倫理的に肯定しようとすると色々と困難が待ち受ける。なるべくこういう問題には触れないで議論する方が、気楽だと思う。

*1厳密には女性だけではなく、子どものいる家計が受ける福祉になる。

*2子どもがいないときの生活水準を維持して、育児ができないとは言える。子どもを産んだ女性が、そうでない女性よりも生活水準が劣るのは非倫理的であると言う議論であれば、理解できたかも知れない。

*3労働を継続することによる女性の技能維持によって費用対効果で見合う場合でも、ペイするのに時間がかかり過ぎると家庭が抱える金融制約によって不経済な状況になっている可能性はある。

*4関連記事:所得再配分は経済成長につながる

*5関連記事:経済学的に児童労働を無くす一つの方法

*6関連記事:ロゴフ「ピケティの資産課税は下手な策や、コレの方がええ」

*7デフレ化でも年々料金を引き上げているのは適性であると主張されそうなので、正式名称は伏せておきたい。

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