2014年6月9日月曜日

経済学における歴史の重要性

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労働問題の専門家の濱口桂一郎氏の「日本の雇用と中高年」を大内伸哉氏が批判していて、濱口氏が返事を書いている。大内氏の批判は、濱口氏の著作は歴史や資料に力点が置かれており、それから導き出されるメッセージが弱いと言うもののようだ。ジョブ型契約にしなくても配置転換による中高年追い出しは権利濫用だから無効と言う議論は置いておいて、経済学に関して濱口氏のちょっとした誤解を解いてみたい。まともな経済学者はそれなり歴史を気にしているから、「歴史なんかは趣味人の手すさび」とは考えていないと思う。

1. 分析対象としての歴史叙述の例

まず歴史が叙述されている経済学の論文を紹介したい。労働問題の論文に習熟しているわけではないので、児童労働に関しての理論研究であるBasu and Van (1998)を紹介したい。著者のBasuは世界銀行のチーフエコノミストだから、まともな経済学者であることは間違いない。むしろ立派。中を見ると、まず19世紀ぐらいからの児童労働についての長い叙述があって、それを理論的に説明する構成になっている。主張に必要であれば、歴史を参照する事は普通に行われている。

2. 理論批判のための歴史叙述の例

Basu and Van (1998)で歴史叙述は前座に過ぎないと思うかも知れないが、濱口氏が以下で目指すと宣言しているように、本題で歴史を叙述している大家もいる。

私はそういうまともな法学者、まともな経済学者の非歴史的かつ形式論理的な言語体系における記号処理だけで、労働という複雑な人間活動に対する政策提言が出てくることに対して、いささか違和感というか「それだけじゃないでしょう」感を持っていて、そのあたりをできるだけ歴史叙述から浮かび上がらせるような本を書きたい

誰って? ─ ノーベル賞経済学者のロナルド・コースですよ。数理的な分析に出てくるコースの定理で知られているのに、御本人は数学や計量に頼らなかった事で知られている。コースの定理も、コースの著作を見て違う人が勝手に数理モデル化したものだ。ノーベル賞をとった数理経済学者のサミュエルソンが排他性のない灯台は政府が作るしかないようなことを書いたら、コースは英国史を緻密に調べ上げて地元の有志が出資して作ったケースがあることを指摘していた(『企業・市場・法』を参照)。

3. 経済学者は歴史が好き(なように見える)

数理モデルもバリバリ書いてきたノーベル賞経済学者のクルッグマンも歴史を説明する事はある。英国料理がいつ美味しくなったかのコラムは一読する価値はあると思う。労働移動の話だから、きっと濱口氏にも関係ある。査読論文ではないけれども、野口悠紀雄氏がAERに歴史的な話を書いていたし、これも労働関係の議論だ。こんな大家以外にも経済史をせっせと調べている人は大勢いるし、主流の計量経済学による分析も過去のデータを分析しているのだから、これも歴史と言っていいかも知れない。そういえば鎖国から開国にいたった時期のデータから、貿易の御利益を計算している論文もあった。

4. 過去と現在がつながっていれば政策的にも重要

最終的には「形式論理的な言語体系」、つまり数理モデルに頼ることになる*1し、過去と現在が断絶しているのであれば、少なくとも政策的な議論において過去を振り返る必要はない。そういう状況では「歴史なんて二の次、三の次なんだけどね」と言う話になっても不思議は無いのだが、話を聞いている限りではそういう事でも無さそうだ。例えば歴史的経緯で労働法と雇用慣行が乖離していると言う濱口氏の指摘は、労働法が雇用慣行を決定している前提で、労働法を変えれば問題解決すると言う主張に、正当な疑問を投げかけるものとなっていると思う*2。少なくとも史料を漁る余裕の無い経済学者には、手短にまとまった研究(しかも日本語!)は、手っ取り早く予備知識を得る便利な中間生産物として機能するはずだ。

5. ブログの煽り文句について

大内氏が指摘済みなのだが、ブログのエントリーの煽り文句は控えて欲しい。特に偉い先生を煽るような言説は控えて欲しいと常々思う。「濱口さんの~によると」と言いづらくなるわけで、せっかくの研究を参照しづらいモノにしてしまっているわけだ。努力の成果が参照される範囲を狭くしているわけで、決して生産的なものではないと思う。

*1立派な論文に見えると言う以外にも、論理的に正しい議論を保証し、反実仮想の議論を可能にする利点がある。

*2具体的には法体系がジョブ型で、雇用慣行がメンバーシップ型と言う部分。他にも労働時間の法廷制限は雇用慣行にあわせて、法体系が変質したように説明されている。ただし婉曲的なメッセージが多いので、この理解が正しいのか、この理解が広く伝わっているのかは疑問がある。

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