2014年6月26日木曜日

あるマルクス経済学者のプロパガンダ(8)

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マルクス経済学者の松尾匡氏の連載の続き『新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3』が公開されていた。拝読したのだが、やはりマルクス経済学者は、経済学の用語や概念を理解していない事が多いのであろうと言う印象を受けた。この連載、マクロ経済学の著名モデルに対して誤解があってそこが気になっていたのだが、今回はミクロ的な部分に勘違い見られる。特に気になったのは二点で、一つは用語定義の部分で、一つは視点の置き方だ。

1. リスク・決定・責任の一致とパレート効率は同値ではない

用語定義の部分だが、「効率」の説明が混乱している。まず、「少なくとも誰も犠牲にすることなく、誰か一人でも厚生を改善できる余地があるならばそれを実現すべきだ」はパレート効率について説明していると思うのだが、「それを実現すべきだ」とすると規範的な主張になってしまいおかしい事になる。「まっとうな経済学」を主張するのであれば、「パレートの意味で非効率」に書き換えるべきであろう。次に、『「リスク・決定・責任の一致」こそが、すべてのまっとうな経済学で言う「効率的」ということです』と言う説明は、おかしい主張になっている。リスク・決定・責任の一致がパレート改善をもたらすかは、時と状況によるからだ。

2. リスク・決定・責任の不一致がパレート改善をもたらすケース

具体的な例をあげてみよう。損害保険の被保険者は、その行動に対して負う効用で測った金銭的リスクを減らすことになり、リスク・決定・責任の不一致が発生するが、経済学の一般の文脈では非効率になったとは議論しない。また、上場会社の経営者も所有権と経営が分離しているので勝手気ままな経営をする可能性があるが、自分で資金を運営できない外部株主にとってはリスク・決定・責任の不一致を生じさせても、上場会社に投資するほうが得になるであろう。エージェンシー理論で、リスク・決定・責任が一致する完全情報・完備契約のときを効率的と表現する事はあると思うが、それはベンチマークのための実際にはあり得ない状況でしかない。マルクス経済学がベースの経済評論家の池田信夫氏も松尾匡氏と同様の主張をするときがある*1のだが、この辺を誤解したまま教えていたマルクス経済学者がかつていたのであろうか。

3. 利用者が金銭負担を負わなければ、リスク・決定・責任が一致しているとは言えない

効率性について整理ができていないせいか、スウェーデン型の福祉システムの分析視点がおかしいことになっている。「サービス供給はNPOや協同組合などが地域の中で担い、利用者はそれを自由に選び、政府が十分な予算をかけて資金的に支えるという、あるべき福祉システム像」としているのだが、この世界でリスクを取るのは誰であろうか? ─ 政府が資金的に支えるのであるから、政府、しいては納税者だ。この世界で決定を行うのは誰であろうか? ─ 「サービス供給はNPOや協同組合などが地域の中で担い、利用者はそれを自由に選ぶ」のだから、生産者と利用者と言う事になる。松尾匡氏はリスク・決定・責任が一致が効率性をもたらすと主張しつつ、スウェーデン型の福祉システムはリスク・決定・責任の一致原則は満たされていると主張しているのだが、金銭負担が全く無い想定になっている。それはおかしい。利用者が自分にあった福祉ニーズを選択したとしても、利用者が金銭的な負担を負わない以上は、決定と責任が一致しているとは言えない。

同じ予算であれば、利用者が要求する福祉サービスを提供したほうが効率的であると主張したいのであろう。この場合は、利用者の経済合理的を仮定すれば、受益者にお金を与えて、好きに買い物をさせれば良いと言うのは理解できる。しかし、税金をどの程度とって政府予算をどの程度割り当てるべきかと言う議論まで含めてリスク・決定・責任の一致原則を適用したら、小さい政府で各自が福祉サービスを勝手に買うのが、“効率的”と言う事になってしまう*2。この新自由主義者の結論が松尾氏の主張している事では無いであろうから、松尾氏の議論には決定的な欠落があるといわざるをえない。『リスク・責任・決定、そして自由!』とキャッチコピーをつけて作文を行っているから、だんだんと論点が捩れて来たのであろうか。

4. 細部についても検討が必要

スウェーデンの福祉サービスの詳細については知識が無いので、福祉予算の決定方法などの議論も必要だと言う以上のコメントができないのだが、他の部分で細部については注意が必要な表現が気になった。例えば「第二回で見たように、沿岸漁業では現場の漁師さんが主権を持ち・・・合理的になるわけです」とあるのだが、ここは漁業問題が専門の勝川俊雄氏に『あまりにも「想像」と「思い込み」ベースで書かれていて、仰け反ってしまった』と指摘されている。ここ、さすがに他の例を探してきて書いた方がいいのでは無いであろうか。また、細かい部分ではあるものの、「国内に資金をとどまらせようとして、金利が一時500%になるまで引上げられました」で言う金利は、中央銀行貸出の限界金利なので誤解を生みそうである。目を引くので500%と言う数字を出したかったのだと思うが、平均値だったらもっと低いであろうし、正確にはどれの金利なのかは脚注ぐらいは入れて欲しい。

*1所有権(残余コントロール権)を資本家(株主=経営者)に集中する古典的な資本主義がうまく機能する、というのがハートなどの古典的な結論」のように主張しているのを見かけるのだが、実際には外部からの資金が必要だったりして所有権を集中できない状況でどうするかが問題である。この論法で言えば無限責任社員しかいない合資会社が外部資金なしで経営するのが理想的と言う事になってしまう。

*2厚生経済学の基本定理が成立するような世界でないと、効率的になるかは分からない。

2 コメント:

松尾匡 さんのコメント...

月末締めの仕事などでお返事が遅れました。次もつかえていますので手短に。

まず漁業についての勝川さんのお話ですが、拙論は、今回の文中のイギリスや北朝鮮のたとえにもありますように、株式会社か協同組合かというような法的な企業形態の話をしているのではないのですが、勝川さんにはそのような話をしていると誤認されているように思います。
勝川さんの出されている例は、沿岸漁業においては、協同組合であっても株式会社であっても、現実には現場の漁業者に操業の決定権があるということで、拙論の論旨を実証するものになっていると思います。

なお、勝川さんは、漁業資源枯渇問題こそが重要との問題意識から、企業形態のいかんは問題ではないとのご批判をされているのですが、私もその問題の重要性はしろうとながら承知しているつもりで、ただテーマが違うのでとりあげていないというだけです。

それから、「効率性」については、拙論のベースになっている三上和彦さんのモデルや、それをひいた私自身のモデルでは、期待社会的余剰最大を基準にしており、たしかにそれは直接にはパレート最適と同じではありません。しかし、社会的余剰最大であれば、(同一基準での集計ができた上で)適当な再分配と組み合わせてパレート改善できますので、結局は同じとみなして、ざっくりした話では議論の容易化のためにこれを効率性基準に使っているというのが大方の合意ではないかと思慮します。(もちろん、他のいろいろな社会的厚生基準に照らした効率性も考えられていいと思います。)
三上さんの研究では、同様の基準で、資金調達のいかんまで考察に含めた分析がなされています。所有と経営の分離の問題も、資金調達などの問題も含めた上で、同様の基準でどこまでぎりぎり効率的にできるかを、いろいろ検討しているのがこれまでの議論であったように思います。それで、なんとかして経営者にリスクの一端でもかぶらせようという、いろいろな工夫を考えているのだと思います。
社会サービスの資金のまわしかたについても、課税のしかたも含め(例えば、単純な利潤定率課税は利潤最大生産に影響しない)、様々な条件下で、どうするのが社会的余剰最大化等の社会的厚生基準に照らして一番効率的なものに近づけるかは、いろいろな議論があり得ると思います。ただ、不確実性や情報の非対称性のある条件のもとで、政府が供給を決めたのでは非効率になるというのが拙論の趣旨です。
なお、損害保険も確率や各自の行動が周知ならリスク・決定・責任のズレはなくて効率的でしょう。

このへんの議論の展開が飛ばしている自覚はありましたが、一般向けに煩雑さを避けるにはやむを得ないものと思っています。

なお、こんなことを言っても生産的でないのでもうしませんが、自分でもマルクス経済学と思ってなくて実際マルクス経済学を理解してもいない人をマルクス経済学扱いしても、マルクス経済学者は大変不快ですし、本人も誰も喜ばないのでやめた方がいいと思います。(おまえのことかという突っ込みには怒りますw)
この人は拙著に対して「「物象化」と言ったのはマルクスではないルカーチだ」と文句をつけたので、ウィキペディアにでもそんなへんなことが書いてあったんだろうかとウィキペディアの「物象化」を調べてみたら、この語がある『資本論』の引用が載っていたので、ウェブぐらい見ればいいのにと脱力したことがありました。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん
> 月末締めの仕事などでお返事が遅れました。次もつかえていますので手短に。

飯田氏がイベントの宣伝をしていたので、お忙しそうだな~と思っていました。なお、こちらは勝手に感想を書いているので、忙しいときはスルーして頂いても全く気にしません。


> まず漁業についての勝川さんのお話ですが・・・

勝川氏の指摘で、重要なポイントを見落とされていると思います。「日本の漁師は自営で販売する余力がないから、買いたたかれているのです。企業なら、ちゃんと営業をして、もう少しマシな価格で魚を売るだろう」は、規模生産性があると言う指摘ですよね。規模生産性があれば、資本家と漁業者がいてリスク・決定・責任が不一致であっても多くの資本を入れた方が生産効率が高まると言う事です。

なお漁獲資源の減少が共有地の悲劇とすると、自分が取り過ぎた影響は全員が負担すると言う意味で、リスク・決定・責任が乖離している気がします。こちらの方が説得的かも知れません。


> 「効率性」については・・・

まず、パレート効率ではなく補償原理を使っているのであれば、何らかの形でそのように記述された方が良いように思います。なお政府負担が同一と仮定したら、競争均衡を仮定して、現場主導がパレート最適だと主張しても良いと思います。

次に、補償原理を使ったとしても、リスク・決定・責任の一致が、社会的余剰の最大化をもたらすとは限らないはずです。金融の例をとれば、情報の非対称性がもたらす非効率を受け入れてでも、外部資本を入れているわけですから。


> 損害保険も確率や各自の行動が周知ならリスク・決定・責任のズレはなくて効率的

まず、保険契約を結んだあとは金銭負担をする保険会社と行動決定する被保険者でリスクと決定が異なる主体で分離することになるので、利害が一致していてもリスク・決定・責任の一致とは言えない気がします。

次に、完全情報下であれば保険が社会的厚生が改善するのは分かりますが、それは不完全情報下で保険が社会的厚生が改善しない事を意味しないです。つまり、命題の裏は成立しません。情報の非対称性があっても市場が消滅せずにプーリング均衡する場合もあるからです。パレート最適ではないが、パレート改善はすると言うケースですね。


情報の非対称性下とは言え、リスク負担者と意思決定者を同一にすることで厚生改善すると主張するには色々と条件を置かないといけないはずで、そこの議論を割愛されると違和感があると言う事です。


> この人は拙著に対して・・・

教科書に書いてある事すら理解しようとしないので、こっちの世界の人ではないなと思ってそっちに押し付けようと思ったら、そっちでも何かがおかしい人のようですね ;-)

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