2013年7月29日月曜日

ジブリ映画「風立ちぬ」で思い出す;日本の非正規雇用問題は戦前から

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映画「風立ちぬ」で親の帰りを待っている幼い三人兄弟が出てくる事で思い出したのだが、日本の産業史から見て映画の時代背景は興味深い。主人公が勤める三菱航空機名古屋製作所は戦前の大きな労働争議の舞台で、非正規労働者の雇用問題の原点のような場所だからだ(日本の雇用と労働法)。

子飼い職工制度(新卒一括採用・終身雇用制度の原型)を確立した大企業では本工と臨時工と待遇が分かれており、本工には雇用規制があったのにも関わらず、臨時工は解雇自由だったそうだ。臨時工の大部分は、労務供給請負業者が送り込む請負工で、現在の契約更新を容易に止められる派遣社員と似ている部分がある。

臨時工の労働者がこれに満足していたわけではなく、1933年9月に三菱航空機名古屋製作所で日雇職工が一切手当を払わずに解雇されたことに対して争議が起き、内務省社会局に対する抗議運動に発展したことがある。このときは相当額の解雇手当を支給することで解決し、その後の翼賛会体制の強化に伴い、臨時工の解雇にも規制が入るようになった。

堀越二郎が三菱内燃機株式会社に入社して、名古屋航空機製作所に勤務になったのが1927年、七試艦戦の設計主任を勤めたのは1932年なので、まさに上述の労働争議の現場で働いていたことになる。

昭和七年(1932年)当時の航空機産業の状況も紹介したい(日本産業史[1])。軍需に依存して「中島」「川崎」「立川」「川西」などの航空機メーカーが登場した時期で、積極的に海外技術の導入を図って投資が行われていたが、まだ経営は安定していなかったようだ。

会社数の割りに軍の航空機関係は予算少なく、昭和七、八年まで各社は注文をとるのに苦心し、閑散期には家具、楽器などの製造で手あき時間を補ったこともある。- 堀越二郎

この後、華やかな発展期を迎える。昭和九年六月には造船と飛行機を合併して「三菱重工業」が誕生しているし、波及効果も大きい。例えば、九六艦戦や零戦の材料となるジュラルミンの材料、アルミニウム生産も1934年から日本電工(後の昭和電工)が長野県大町で開始している。台湾の高雄にも日本アルミニウム社のアルミニウム工場が作られている。

作中の堀越二郎は、幼い三人兄弟にシベリアと言うお菓子をあげようとして逃げられるわけだが、九六艦戦の成功が航空産業の発展に大きく寄与したと考えられるので、幼い三人兄弟の親に雇用をもたらした可能性はある。飛行機の開発生産に消えるお金で、腹を含ませる子供たちもいたわけだ。

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