2013年6月8日土曜日

慰安婦問題は強制連行の有無が唯一の争点

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神戸大学の木村幹氏が、『「ガラパゴス化」する慰安婦論争 ―― なぜに日本の議論は受入れられないか』について、歴史認識問題(従軍慰安婦問題が強制連行の有無)ではなくて、女性の人権に対する問題に変質したと主張している。歴史認識問題にこだわるのは日本だけだと言いたいようなのだが、女性の人権問題で日韓が対立しているようには思えないし、事あるごとに歴史認識を持ち出してくるのは韓国側なので、木村氏が何を問題にしているのかが分からない。

1. 慰安婦問題は強制連行の有無が唯一の争点

「女性の人権に対する問題」は争点にならない。女性蔑視の価値観を持つ人間が多数いる事は想像に難しくないが、橋下大阪市長の日本外国特派員協会のメッセージからわかるように、従軍慰安婦と言う制度を肯定する発言は許されなくなっている。河野談話も村山談話も認めてきた。ここで国内外に大きな差があるわけではない。そして、「正しい歴史認識」を迫っているのは韓国なのであって、日本ではない。

木村氏も『慰安婦の「強制連行」は主要な争点の一つへと後退』『仮に元慰安婦や運動団体が慰安婦問題における日本政府の責任を立証しようとする場合においても、その筋道がいくつか存在する』と、韓国側が歴史認識問題を放棄したとは主張していない。韓国側が主張する以上、歴史認識問題にこだわらざるをえない。

韓国国内の世論では、木村氏も金鍾泌氏の発言への非難を紹介していたが、史料が存在しないと言う客観的事実でさえ問題になっている。2004年にソウル大学の李栄薫教授が強制性を否定したときに騒動になっていた*1し、2006年にソウル大学の安秉直教授が「問題は強制動員だ。強制動員したという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」と指摘したときも激しい非難を受けている。

2. 強制性が無いと韓国国内での問題意識が低下する

強制性が重要なのは、国際世論と言うよりも、韓国国内のように思える。朝鮮戦争の韓国人慰安婦もいたし、韓国では2004年までは売春が合法だったため、慰安婦制度を一方的に批判しづらいのだと思われる。

地域研究者で研究対象への愛着が強いタイプの人々が行いがちなのだが、木村氏も韓国側が抱えるこの問題については、ほぼ考察していない。例えば以下の部分がそうだ。

問題は、なぜに80年代頃までの韓国人が、慰安婦の存在そのものは知っていたにもかかわらず、これを日韓間における重要な問題の一つとして提起しなかったのか、ということである。背景にあったのは、韓国においては長らく、慰安婦の存在自体が一種のタブーであり、おおやけに議論することが難しい状況が存在したことであったろう。だからこそ、80年代までの日韓両国のあいだでは、慰安婦問題をめぐる紛争は存在しなかった、ということになる。

慰安婦の存在自体が一種のタブーだと主張するのは無理がある。むしろ、特異な存在では無かったからこそ、問題にならなかったと考えるべきであろう。1980年代に日本軍が慰安婦になる事を強制したと言う話が出てきた事から、はじめて従軍慰安婦が問題になるわけだ。

前述の李栄薫氏も、慰安婦は商業的な売春婦であったと主張したと見られたことが、強い非難を呼んだようだ。従軍慰安婦の強制連行の有無は、韓国にとっても重要な争点のように思える。

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