2022年4月24日日曜日

性的モノ化された女性の画像を見ていると、セクハラ発言をするようになる

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ネット界隈の表現規制派フェミニストの大袈裟な表現物非難を、表現の自由戦士が無根拠だと批判する光景はよく見る。ポルノが性犯罪を増やすと言うような主張は根拠が無い薄いどころか逆の可能性も指摘されているので*1表現の自由戦士の主張に一理あるわけだが、ポルノと性犯罪の関係が全てではない。セクハラ発言まで考えるとある種の表現物が不法行為を増やす可能性はあるので指摘したい。

1. 創作物から覚える規範もありえる

人間は周囲の言動を通じて物事の善し悪しを学んでいく動物だ。殺人や強盗、強姦、窃盗などの犯罪は繰り返し不徳な行為だと報じられているし、創作物でそれらの行為を見ても真似をしようとは思わないであろうが、すべての不徳な行為を不徳と認識できるとは限らない。セクハラが日常的にあった時代を生きた昭和なおっさんは、「お母さんがグラマーだから娘さんも成長が早いですね。」と言う台詞*2をドラマで聞いたら、気の利いた褒め言葉だと誤解するかも知れない。

2. メディア誘導セクハラの可能性

もっと間接的な影響について議論しているのだが、ここ何十年かでメディア誘導セクハラ(Media-Induced Sexual Harassment)と言う概念が出来てきた。展望論文であるGaldi and Guizzo (2021)を読むと、男性をセクハラ行為を駆り立て、女性をセクハラ受忍的にし、加害者と被害者の周囲の人々にセクハラを黙認させるようになる効果が指摘されていることが分かる。この展望論文で紹介されている研究はメディア表現と質問への回答で測ったセクハラ傾向の関係を見るものが殆どのようなのだが、紹介されている研究で紹介されていた研究に、セクシーグラビアがセクハラ発言を増やすと言う分かりやすい話があった。

3. セクシーグラビア動画がセクハラ発言を誘導

Galdi, Maass and Cadinu (2014)はランダム化比較実験(RCT)で、北イタリアの18歳から48歳の男性141名の男性被験者にセクシーな格好の身体が魅力的な女性が特段何の活動や発言もしないセクシーグラビア動画を見せた後に、女性にチャットで性的表現もしくは女性蔑視的な内容のセクハラになる冗談とセクハラではない冗談のどちらかを選んで送るように指示すると、セクシーグラビア動画以外を見せた場合と比較して、セクハラ発言を選択するようになる事を観察した。また、主演俳優は立場を利用して女優に関係を迫っていそうに思うかで測った代償型セクハラ(がありそうだと思う)傾向が強くなる。

4. セクシーグラビアが男性の持つ規範を変化させる

Galdi, Maass and Cadinu (2014)はさらに新たに被験者を募った追加実験のデータに共分散構造分析(SEM)をかけ、セクシーグラビア動画がMRNI-Rと言う指標のSex(性的モノ化), Aggression(セクハラ), Dominance(支配的)の3つの傾向を高め、直接効果の他、性的モノ化傾向の高まりがセクハラ発言の選択につながっている事を示している。著者たちは、共分散構造分析の結果を、性的モノ化された女性表現を見るとセクハラ発言が悪いことだと思わなくなるので*3、セクハラ発言をするようになると解釈している。

4. 議論は架空のキャラクターの表現物にも援用できる

日本のSNSで論争になっているのは架空のキャラクターが描かれた表現物ではあるが、メディアで性的モノ化された女性以外の女性に被害があると言う話なので、モノはモノ化しない*4としても議論を援用することができる。扇情的な萌え絵はセクハラ発言とは地続きと言っても無根拠とは言えない。青年誌に載っているマンガを読み続けると、女性を「たわわなおっぱい」と呼んでも悪いことではないと思うようになるかも知れない。そんな人はいないと思うかも知れないが、女子アナの乳房を格付けするページを公開している人が罪悪感を感じているとは考えづらい。

5. 政策的にどうするべきか?

展望論文のGaldi and Guizzo (2021)に指摘があったが、十分な研究蓄積があるとは言えない。心理学再現性クライシスの問題もあるし、話半分に聞くべきだ。しかし、不法行為と地続きであるとは示されつつある。ツイフェミの「性犯罪と地続き」と言う主張が無根拠だと罵られているのを見たが、大袈裟だと言うぐらいが穏当な批判だ。

メディア誘導セクハラが本当にあると仮定して、その効果が表現物は全面的に規制されるべきであろうか — それは短絡的だ。表現物にセクハラを誘導する効果があるとしても、セクシャルハラスメントが不法行為だと周知されていれば、効果は確認されない可能性は高い。現状、セクハラ、特にセクハラ発言をセクハラだと認識できていない人々は少なくはない。また、本当だとしても社会的不利益は大きなものではない。Galdi, Maass and Cadinu (2014)の実験は、セクハラ発言を好むようになり、代償型セクハラが実際にありそうな行為だと思うようになる事を示しただけなので、周囲の女性を露骨に性的モノ化しだすとまでは言えない。下品な発言に悪気が無くなると言う程度の弊害で、人々の大きな愉しみになっている表現物を大きく規制すれば、社会厚生が悪化する。そもそもセクハラ発言は問題なのかと言う原理主義的な疑問もあり得る。

全面規制に至らない妥協策は悪くない。エロティックな表現物に対して非難を浴びせることは、その表現物が社会規範に反する行為を描いていることを周知するので、下品な発言に悪気が無くなる効果を相殺することが期待される。表現規制派フェミニストの非難は、表現規制の必要性を減らしてくれているわけだ。また、部分的な表現規制はあったも良いかも知れない。たばこパッケージの肺がん警告表示のように、作中の描写が不法行為であることを警告するテロップを入れるなどの処置は、誤った規範の形成を予防してくれるはずだ。そこまでするべきかは謎ではあるが。

*1関連記事:快楽は一瞬で代償は高くつく? — 強姦と性的暴行へのポルノの影響

*2長野県の学校のセクハラ研修資料にあった事例。

*3MRNI-Rが規範を代理していると言えるのかが謎なのだが、Wright and Tokunaga (2015)では普段からセクシーグラビアを鑑賞している男性には影響が無い一方で、普段はそうではない男性には影響が大きいことを示しており、新たな情報が入ることで考え方が更新されたと解釈できるものであった。

*4関連記事:過去のフェミニズムの議論からは、性的モノ化された萌え絵が有害の可能性は低い

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