2018年12月17日月曜日

スターリン — 「非道の独裁者」の実像

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ネット界隈ではヒットラーと並ぶ人気のスターリンだが、ソ連の指導者であり暴力的で残虐な人であると言う漠然とした説明以外は、俳優の岡田眞澄と似ているぐらいしか知らない人は多いであろう。その悪行の詳細に詳しい人でも、なぜ名門の産まれでもなく、テクノクラートでもなかったのに出世できたのか説明できる人は多くは無いと思う。それで、どんなもんかを『スターリン — 「非道の独裁者」』を読んで確認してみた。

スターリンは優秀な運動家だった。カフカース(コーカサス地方)で労働運動から活動家になり、後にロシア社会民主労働党の革命家として、実務をこなしていくうちに党内で評価されるようになっていった。銀行強盗の統率などの汚れ仕事や逮捕・抑留などの経験が、国外逃避が可能だったインテリの人々と対比されて、党内で共感を呼んだようだ(pp.83–84)。党勢の翳りに対して政治目標の追求だけではなく、人々の日常的な利益も代弁し、全ロシア的な新聞を発行して支持を拡大しようと党の活動方針に意見しているし(p.85)、党の上層部がさして注意を払わなかった民族問題にカフカースの現時事情から独自見解を持って論文「マルクス主義と民族問題」にまとめている。社会主義の理論よりも現実に関心があった(p.91)。インターナショナルなんて言っているのは世間知らずの甘ちゃんやと思っていたかも知れない。一方で、自分の意見と指導者レーニンがあわないときは、さっさと論を撤回する狡猾さもある(p.103–104)。無学とされることも多いが、文才もあったようで、少年時代は自作の詩を新聞に投稿して掲載されたりしていた。今ならば人気ついったらーであろう。なお、論文には代筆疑惑があるが、著者は文体からそれを否定している(p.88)。

指導者になってからは、経済政策の失敗によって大量の餓死者を出し、疑わしきは罰する邪魔な奴は疑わしいを地で行く粛清、そしてドイツのソ連侵攻を予測できなかったことで評判が悪いのだが、スターリンが完全に無能であったと言うわけではない。資本主義国がソ連を攻撃する可能性はあったわけで、軍事力の強化のための工業化は喫緊の課題であった。実際に日本と張鼓峰事件、ノモンハン事件で戦闘になったし、ヒットラーは独ソ不可侵条約を破って攻めてきた。西側でスターリンのソ連と言えば、第一次五カ年計画、コルホーズからの逃散…と否定的な面ばかりが取り上げられるが、農村に多大な犠牲を出した無理な経済政策が無ければ工業化は成し遂げられず、ヒットラーに負ける事になったと言うのが、現在までのロシアでのスターリンの肯定部分になるそうだ(pp.294–298)。スターリン批判を行ったフルシチョフは、それがその失脚に遠因になった(pp.284–286)。また、外交問題でも最初から強硬路線であったわけでもなく、また徹頭徹尾強硬路線を貫いたわけではなく、米国との戦争を回避するために妥協するところは妥協していた。

私生活も手紙などを分析する限りは仕事優先だが、言われているほど非情では無いそうだ。ところで、シベリア抑留中に13歳の少女と関係をもって子どもをつくった話が割愛されているのが気になった。

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