2018年8月2日木曜日

「搾取」という単語を使う前に必要なこと

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頻繁に使われる割には、厳密に運用するには定義が十分ではない用語に「搾取」がある。好意など自発的なものではなく、権力やその他の強制力をもって、正当な対価を払う事なく、他者に労力やその他の資源を提供させることと搾取の説明は難しくない。しかし、大抵の事例において、正当な対価がどの程度かは自明ではない。

1. マル経の「搾取」定義は、不当である事を保証しない

マルクス経済学の「搾取」を援用すればよいと思うかも知れない。社会学や社会思想の専門家など、学部教育でマル経をかじった人々は、往々にしてそのように主張する。しかし、マル経の「搾取」の定義は不自然なもので、振り回すのは有害だ。マル経が誤魔化している秘密がある。

マル経の賃金を超える剰余労働分からの利益、つまり剰余価値を搾取とする定義では、それが不当な行為なのかははっきりしない。剰余価値は概ね、営業利益に相当するものだ*1。資本レンタル費用が含まれるが、消費を我慢して貯蓄し、債務不履行の可能性を負って他人にお金を貸した資本家が、その時間選好率やリスクに相当する利子を得ることは不当と言えるであろうか?

数理マルクス経済学のマルクスの基本定理をもって、資本主義社会には必ず搾取は存在すると高らかに宣言されても、その搾取が不当行為なのか疑わざるを得ない。搾取には不当と言う規範的価値判断が含意されている。マルクスの議論でも搾取は不当とされている*2し、現代のマル経の議論でも概ね搾取は不当とされている。しかし、マル経が存在を証明したとする搾取は、規範的には白黒つけられないモノでしかない。

2. 労働価値説から、剰余価値を不当とは論証できない

気楽に労働価値説から、剰余価値を不当と論証できるとする人々も多いのだが、それには実は根拠がない。吉原(2001)は「労働価値概念に立脚するマルクス主義の古典的な搾取理論解釈は、まさに数理マルクス経済学の反証可能な手続きによる検証によって、否定された」としている。マルクス経済学の足元はかくも脆弱であったわけだ。社会学やその辺の一般教養でコレを教えてきたのは、かなりの罪である。

3. 「搾取」という単語を使う前に必要なこと

こうしてみると、搾取と言う概念は慎重に使う必要があることが分かる。脅迫や詐欺によって他者から利益を得る行為は搾取と言えるだろうが、労使関係のように原則合意に基づいた契約については、公正な契約なるものを提示して差異を示さないといけない。「非正規労働者は搾取されている。何故かって?不当に安い賃金だからだよ」のような主張はよく見かけるが、誰が誰にどういう規範に照らして不当に利益を得ているか示さないと、循環論法で何も言っていないことになる。

逆に言えば、誰が誰にどういう規範に照らして不当に利益を得ているかを示せば、搾取と言う単語を使っても無問題だ。「非正規労働者は雇用主に搾取されている。同じ労働内容なのに正規労働者よりも賃金が安い」と言えば、同一労働同一賃金の原則に反するので不当だとわかる。搾取と言う単語を使うときには、自らの規範をはっきり言語化して説明する準備をしておこう。不公平や厚生損失など、もっと適切な他の単語が思いつくかも知れないが。

なお、その場限りで道徳や倫理を採用すると、後で辻褄が合わない人間だと言われることになる。その都度、規範概念を借りてきて「~の倫理から考えると搾取」と言う風に、他人事のように言及する方が無難かも知れない。

*1先日、Twitterで話をしていたときは、減価償却費がマル経の費用に含まれないと勘違いをして、不正とは言い難い搾取の事例を作ってしまったのだが、後で含まれていることを確認したので、ここでは例を変えている。

*2ウェルトハイマーは、「搾取についてのマルクス主義的見解の道徳的な核は、マルクス主義独特のものではない」(江口訳スタンフォード哲学事典「搾取」)と指摘している。

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