2018年5月15日火曜日

テレビなどの影響を悪く言う前に読むべき『メディアと日本人』

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職場と自宅を往復するだけの毎日を送る人々でも、まったく世の中の情報を入れないという事はないであろうし、メディアは万人に身近な存在だ。しかし、身近な割にはどういうものが利用されているか、どういう影響があるか意外に知られていない存在でもある。

知人友人を超えた他人がどのメディアをどれぐらい利用しているか、把握されているであろうか。雑誌は次々と休刊し、新聞の販売部数とテレビ局の売上高の低下が当たり前のように伝えられるので、これらの比重が低下しているのは感じることはできるでろうが、何割ぐらいの人がラジオを習慣的に聞いてるのか数字を出せと言われたら、返答に詰まる人が大半であろう。さらに、自分の言動がどれぐらいメディアに影響されたものか説明しろと言われたら、困ることになる。

これは、ネット界隈でメディアを何かを伝えないと怒っている人々でも、ネットの外の世界でテレビ番組が子どもの生育に悪影響と言っている集団でも同様だ。ちょっとは何かをインプットしてから主張は考えるべきで、メディアに関しても手ごろな本が欲しい。『メディアと日本人――変わりゆく日常』は、日本人がどういうメディアを見ていて、メディアがどういう影響を与えている可能性があるか紹介してくれる本で、戦前からの歴史的な話から、著者が行なっている「日本人の情報行動調査」からの近年の変化、ラジオやテレビ番組、そしてインターネットが人々にどのような影響をもたらすかが説明されている。特に最近発生したSNSやSMSなどについては、著者の独自研究になるので一章を割いて豊富な図表をもとに詳細に分析が示さる。

第1章は歴史の話だし、第2章はお年寄りと言うか、世代が古い方がテレビ好きなことが分かる程度だが、第3章ぐらいから面白くなってくる。プラトンが文字を批判したように、新しいメディアには否定論者(ネオフォビア)がほぼ必ず現れ、その効果が検証されてきた。アドルノ、ホルクハイマー、フロムらの社会学者は、ラジオの影響力がナチスへのドイツ国民の支持を支えたと主張し、米国のプロパガンダ分析研究所もラジオの影響力を強調したが、その後の米国の投票行動の分析により政治的影響力は大きく無いことが示された。テレビが児童の日常行動や学力に影響することも危惧されたが、社会学者ウィルバー・シュラムは番組の内容次第であることを示した。暴力的なテレビ番組が青少年の暴力的傾向と相関することが報告されているが、同時性や交絡効果の影響は排除しきれないし、日本では米国ほど明確な関係が見られない。ただし、社会階層を制御しても長時間のテレビ視聴が、言語能力に悪影響を及ぼすことは示唆されている。疑われた害悪は否定されるか、厳密には良く分からないことが多いようだが、何でもかんでも無影響とは言い切れない。そして、第4章で、ここ20年間で普及したインターネットやSNSやSMSの影響について、デジタルネイティブ世代の特性として語られる。

デジタルネイティブ世代の話はこんなんなんかな~と言う感じもするが、数字を根拠にしているので本書が正しいのであろう。なお、本書が書かれてから7年が経過して新たな「日本人の情報行動調査」も行なわれているので、今はもっと固い話になっていると思う。それでも違和感が残る所はちょいちょいあって、インターネットで得られる情報の内容が、既存メディアと重複していることが強調されているのだが、プログラマのせいか書籍中心の頃よりもずっと一次資料や試行錯誤やそのまとめの情報に接する事が容易になったので*1、これはやや過小評価なのでは無いかと思うし、P.89の「統計的に有意」の使い方がちょっとおかしい気がするが、全般的に穏当な形で議論が進む本であった。おっと「言いっぱなしが許されるTwitter」と言うのにひっかかった。アホな事を言って炎上し、心が病んでさらに炎上するような事例が幾つもあったので*3、そういう所も誰かに研究して頂きたい。

*12018年だからそう思うわけでもなく、1996年頃にDelphi-ML/C++Builder-ML の過去ログ検索サービスAbout Delphiに世話になった記憶があって、あまりDelphi関係の書籍が無いこともあり大変、助かったのを覚えている。「Delphiなど旧時代のプログラミング言語など知らぬ」などと言わないでください。(英語版Wikipediaにあるぐらいの話なのだが)数学でもLeibniz integral ruleは、ネットで検索しないとたどり着けなかった。

*2P.89で相関係数の大小で統計的有意性の有無を言っているように読める。

*3関連記事:ネットで心が折れないための10の作文技法

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