2018年4月4日水曜日

古谷有希子が知るべきデマの拡散と不安の表明の違い

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社会学者の卵の古谷有希子氏がサイト「Fact Check 福島」の記事を、原発事故で不安を感じる人々が主体的にデマを流し、差別を行なっているように思わせる印象操作を行なっており、悪質だと非難している(Twitter)。少しは同サイトの記事を「デマ」や「差別」で検索して中身を読んでみたのであろうか。編集方針なのであろう。記事を読めば分かるが、人々の不安を煽る虚偽と異なる流言をデマとして、それがなぜ事実では無いかを説明しているだけで、原発事故で不安を感じている人々を非難しているわけではない。

1. 不安の表明は、誰もデマの拡散だとは言っていない

原発事故直後、普段、縁の無い放射線の危険性を突然言われて、不安を感じるなと言うのは無理なのは同意しよう。だが、不安の表明は、誰もデマだと言っていない。自分が妊娠ができるのかと質問をした女子生徒は、デマゴーグだと非難はされていない。それどころか、デマを請け売りする人々も非難されていないし、実際のところはデマ発生源も大して非難はされていない。少なくとも「Fact Check 福島」ではそうだ。ゆえに古谷有希子氏の批判は藁人形論法になっている。

2. デマの拡散と不安の表明は異なる

古谷有希子氏は、デマの拡散と不安の表明の識別がついていないように思える。しかし、不安に駆られたからと言って、デマを広める必要は無く、デマを広める事は許されない。事故直後に「100ミリシーベルトにも遥か及ばない線量で、鼻血や下痢の症状を訴える人がいます」と言い出すような科学リテラシーの専門家や、福島さんの米は毒物だと言い出した地質学者や、『Facebookに「多指症の手術が100人待ち」と投稿』するような捏造を行なった愉快犯の類は、不安に駆られてデマを広めたとは認められない。実際、放射線に詳しい専門家の指摘を、新たなデタラメを次々に繰り出して話を逸らし、また強弁で乗り切ろうとする態度は、思いつきを認めてもらいたいだけの承認欲求の塊としか思えなかった*1

被災地やその周辺の人々は、デマゴーグの発言で不愉快な思いをし、少なからずデマで不安を増したであろうし、農家や漁師は風評被害による実損を受けた。風評被害は東京電力が保障することになってはいるが、十分な額になるとは限らないし、キャッシュフロー上の問題も出る。デマに煽られて自主避難を強行して家族を分断し、自殺をしてしまった女性も報じられていた。デマの拡散と不安の表明に区別をつけないと、加害者と被害者の行為の区別をつけられないと言うことになる。原発事故による賠償責任を負う東電が加害者と言うことになろうが、デマを吹聴した人々もまた加害者だ。被害者に寄り添う気持ちがあるのであれば、デマの拡散を擁護してはいけない。社会学のディシプリンとしては、とにかく体制に反対する側を擁護しなければならないのかも知れないが、反体制側が弱者の味方とも限らない。

*1当時の言行はtogetterに多く残されているので、疑わしければ調べる事は容易であろう。なお、稚拙な統計処理で誤まった結論を導き出し不安を煽った学者の皮を被った人物もいたが、統計リテラシーが皆無なのか悪意があるのか判別がつかなかったので、デマ発生源の例としては除外した。

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