2015年4月8日水曜日

福島の外側で正常化できた人とできない人

このエントリーをはてなブックマークに追加
Clip to Evernote
Pocket

毎日新聞のサイトに、絵本作家・松本春野氏へのインタビューが掲載されていた*1。福島第一原発事故を反原発運動に結びつけることで、「福島は住めない」「福島県産食品は危険だ」といった差別や偏見を助長した事に対する反省の弁が述べられており、地域や個人で異なる問題を「フクシマ」と一つに括る事を差別や偏見を助長すると批判している。福島と言う広い地域・大きな社会を、原子力政策の失敗地フクシマとしてだけ捉えることが、どういう問題を引き起こすのか理解されてきたのであろう*2。社会学者の開沼博氏は、俗流フクシマ論と批判している*3

空想の産物でしかないフクシマを議論する事は非人道的なプロパガンダであって、建設的な行為ではない。ようやく気づいた反原発活動家が出てきたのは喜ばしいと思うが、まだ分かっていない思想家がいる。「フクシマ」の悲劇を伝えるための福島第一原発観光地化計画を唱える思想家の東浩紀氏だ。開沼氏の俗流フクシマ論に囚われた人々への批判に対して、東氏は強い抵抗感を示しつつ、以下のように原発事故と福島を結びつけることの正当性を主張している*4

福島第一原発の事故は、「福島」の原発事故であると同時に、また福島で起きた「原発事故」でもある。それは戦後の福島が抱えた複雑な歴史の帰結であるとともに、原子力という制御のむずかしいエネルギーに手を出した人類の矛盾の帰結でもある。だから事故への関心は、福島という個別の地域への関心とは別に育てられるはずだし、またそうするべきだとぼくは考える。

未だに福島第一原発観光地化計画のサイトでは『25年後の「フクシマ」を考える』と書いてあるし、上の文章だけではない。このような粗雑な原発事故と福島の結びつけが、差別や偏見を助長して福島県民の不利益を生んできた。開沼氏も「金を落とさないなら黙れ」と言っているわけではなく、俗流フクシマ論が県民の不利益になっていると主張していると思うのだが。

世界中に原発はあって、日本にも原発は多くあって、その中で福島県の浜通りにある福島第一原発が、東日本大震災の影響で大きな事故を起こした。中通りや会津は、そう変わらない日常が送られている。福島と言う地名に大きな意味は無い。福島第一原発を観光資源として保存する意義はあるのかも知れない*5が、どうして福島の未来と連結していると考えるのか。

東浩紀氏は原発事故にショックを受けたのだと思うが、四年経ってもそこから大して動けていないのでは無いであろうか。一方で、勇気を持って考えを改めた絵本作家もいる。

*1キーパーソンインタビュー:「フクシマを描く善意が差別や偏見を助長したかも」 絵本作家の松本春野さん

*2「フクシマ」の被害が大きいほど、従来の原子力政策の失敗が大きいと言うことになるので、過剰に「フクシマ」の問題を大きくしようと言う心理的バイアスが働く。松本氏も現地で不安や困難の話を求めてインタビューしていたと自己批判していた。

*3キーパーソンインタビュー:福島と「フクシマ」は違う 社会学者の開沼博さん

*4【福島か原発か】ゲンロン観光地化メルマガ #34【編集長・東浩紀】:ゲンロン観光地化メルマガ(観光地化計画チャンネル)

*5もっとも福島第一原発事故は、避難区域の設定や運用、差別や偏見による間接被害の方が大きく、原発跡地にどのような意義があるのかは分からない。

0 コメント:

コメントを投稿