2014年7月16日水曜日

ある就学援助に関するエッセイについて ─ 開発途上国と日本の教育問題は異なる

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慶應大学の中室牧子氏がSYNODOSに「就学援助だけでは、負の世代間連鎖は断ち切れない」と言うエッセイを公開している。ソーシャル・ブックマークにコメントが色々とつけられているのだが、批判的なものは無いようだ。しかし、この作文、端的に言うと開発途上国と先進国の違いを認識できていないゆるふわで、途上国の教育事情も理解していないように思える。「負の世代間連鎖」と書くと、開発途上国と現代の日本で同じような問題があるように感じるが、その中身はかなり違う。また、統計データは裏側の事情を念頭に置いてみないと、論理の飛躍を招いてしまう。

1. 開発途上国の負の世代間連鎖と教育政策

開発途上国では、児童労働が家計を支えていたりするし、文房具なども所得に対して高価なので、学校に通わせることが家計の大きな負担になる。だから金持ち家庭でないと、子供を小学校にも通わせられない。貧乏人の子供は、本当に無学になる可能性がある。

初等教育の労働生産性に与える影響は甚大だ。さすがに読み書き算数ができなければ、地頭が良くても効率よく仕事をこなすことは難しい。途上国での教育年数は、所得に直結する。このような社会状況では、貧乏人の子供は小学校にもいけず貧乏人になるしか無い。その子供も同じような境遇になるので、低労働生産性の世代間連鎖になる*1

就学援助は、家計行動を変える効果が期待されている。児童労働を辞めさせて、学校に通わせる意欲を親に与えるわけだ*2。就学援助が上手く機能しない要因として、教員の数や質、黒板や教科書などの不足が心配されているのは確かだが、要するに資源の問題であって方向性の問題ではない。また、労働生産性の向上が期待されるので、政策効果の評価軸は効率性となる。

2. 日本での負の世代間連鎖と教育政策

現代の日本では児童労働はほとんど見かけない。文房具なども所得に対して高価とは言えないであろう。大学までは、家計の大きな負担になるわけではない。貧乏人の子だからと言って、学校に行けないケースはほとんど無いであろう。また、学校設備や教員の数や質に大きな問題があるわけではない。日本に本当の無学はほぼ存在しない。

中室氏も理解していて「低所得家庭の子どもらは、学校に行くための経済的な資源が不足しているという以上に、学習習慣が身についていない」と仮説を立てている。つまり、開発途上国の教育問題と、日本の教育問題は性質が全く異なるわけだ。

学習習慣が身についていないと何が起きるのであろうか。「学力が上昇しなければ、進学はかなわず、結局、社会階層の世代間連鎖は解消されることがない」と言う所からは、良い大学に進学して良い職につけ無い、低社会階層の世代間連鎖が発生する事が想定されていると主張されているのが分かる。高等教育が労働生産性を向上させる可能性もあるが、初等教育よりはスクリーニング効果が高くなる事は知られている。ゆえに政策効果の評価軸は公平性になる。

3. 途上国と日本「負の世代間連鎖」は異なる

同じ負の世代間連鎖と言っても、開発途上国と日本ではその中身は大きく異なる。教育政策の課題も、開発途上国では就学援助を有効に機能させるだけのリソースが求められている一方で、日本では就学援助では新たな課題に対応できない方向性の問題が出ている。途上国では効率性が問題であり、日本は公平性が問題だ。開発途上国における就学支援の効果や課題は、日本には全く当てはめる事ができない。中室氏は「開発途上国で行われた就学補助金の議論を、日本にそのまま適用するのは無理がある」と自分で言っているわけだが、どう無理があるのかを良く検討しなかったようだ。

4. 開発途上国の就学援助は意味が無いのか?

技術的な話をしよう。中室氏は「就学を支援する目的の補助金は、出席率に影響を与えても、学力には影響しないことが示されており」と主張するが、本当なのであろうか?

就学援助が出席率の向上をもたらす事は、中室氏も指摘している。学童が学校に来るようになって、学校の限界的な教育効果がゼロであると言う事態が生じれば、それは途上国ではままあるが、教員がいないような本当に深刻な状況であろう。そして、その場合は労働生産性の向上は無いであろうから、賃金なども改善されない。

開発途上国の学校教育への投資に関する著名論文にDuflo(2001)と言うのがある。そこでは1973年から1978年のインドネシアにおける小学校建設プロジェクトの成果が評価されており、1000人あたり1校の建設が平均就学年数を0.12年から0.19年増加させ、1.5%から2.7%の賃金増加をもたらし、経済的利益率は6.8%から10.6%だと分析されている。

中室氏の主張と合致しないように思えるが、中室氏が嘘をついていると言う分けではない。氏が参照しているReimers, Silva and Trevino (2006)のP.44の4.4節を見ると、就学援助を受けているグループの成績がよろしくない事例が記述されている。問題は、この解釈だ。就学援助を受けて貧困層が通学するようになったからと言って、学校全体の学力が上がると言えるであろうか?

そんな事は無いであろう。無学な家庭の子供の学力は、富裕な家庭の子供より劣るであろうからだ。貧困層が通学をすると貧困学童の学力は向上するであろうが、貧困層と富裕層のいるクラスは、富裕層だけのクラスよりも成績が悪い事が予想される。ゆえに就学援助を実施すると、学校全体の平均的な学力が低下し、地域全体の平均的な賃金増加をもたらすと考えられる。少なくとも、授業出席者の学力が改善する事はない。

中室氏の計量分析結果の解釈には飛躍が見られ、就学補助金が貧困層の学力向上には寄与しないと言う誤った結論を導いている。

5. 開発途上国の就学援助に言及する必要は全く無かった

中室氏のエッセイの主張は、日本の低社会階層の世代間連鎖を改善する教育政策を科学的な調査をもとに追求すべきだと言うだ。これに関しては諸手を挙げて賛成したい。しかし、この主張を行うのに開発途上国の事例を持ち出して、飛躍した解釈をもとに就学援助を批判する必要は無かったように思える。途上国で就学援助の効果があったとしても、日本では効果が無い事は十分あり得るからだ。

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