2013年6月14日金曜日

池田信夫がGDPギャップの定義を勘違い

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私も先日まで誤解していた*1のだが、経済評論家の池田信夫氏がGDPギャップに関して勘違いを披露していたので指摘したい。誰かそっと教えてあげてもいいと思うのだが、誰も指摘していないようだ。

GDPギャップの定義は、(現実のGDP-潜在GDP)÷潜在GDPである事は、漠然と理解されていると思う。問題は潜在GDPで、これは「最適労働・資本量」によるGDPではなく、「経済の過去のトレンドからみて平均的な水準で生産要素を投入した時に実現可能なGDP」となっている*2。なお平均稼働率で、平均投入量ではないから、労働力の増減は調整される。

1. 池田信夫氏の勘違い箇所

さて、池田信夫氏のおかしい所を指摘していこう。

動学マクロ経済学では、経済は長期的には潜在GDP(定常状態)に近づくと考え、それと現実のGDPの差をGDPギャップと呼ぶ。

GDPギャップの定義は、既に述べた通り定常状態とは異なるから、この説明は不適切だ。最初から定常状態にいて、何かのショックで労働供給量が変化すれば、概念的に近くはなりそうだが。

潜在GDPは価格が伸縮的に動いた場合に達成される需給の一致した水準のことで「供給側」という意味ではない。「構造改革したら供給が増えてデフレギャップが広がる」という三橋某などは単なるバカである。

生産関数を推定しているので供給側になる。需要が一定だと仮定すれば、全要素生産性の向上は労働と資本の稼働率の低下を意味するので、三橋氏の辻褄があっていないわけでもない。

コッブ=ダグラス型の生産関数を仮定し、GDPと資本・労働投入量の残差として全要素生産性を求め、その(HPフィルターで平滑化した)トレンドに最適労働・資本量を加えて潜在GDPを求めている。

上述の通り『最適労働・資本量』ではなく、平均的な水準(=稼働率)の生産要素を投入したと仮定して、潜在GDPを求めている。名前がミスリーディングなのですよ、これ。

生産性は残差として求められているので、最適な水準とは限らない。

残差として求められる全要素生産性に、最適な水準(=極大値)は無い。大きいほど望ましい。全要素生産性が無限に大きければ、鳩山元総理と菅元総理が死ぬほど働けば、全国民が遊んで優雅に暮らせるようになるであろう。素晴らしいことだ。

半導体工場が遊休化してほとんど操業していない場合にも、それは前期からのトレンドとして供給能力に含まれる。

不況が続くと資本や労働の平均稼働率は落ちていくので、潜在GDPも落ちていく事になる。実際は何十年の統計なので、そう簡単に平均稼働率が変化するわけではないが。

そういう工場をフル生産した状態を「潜在GDP」として基準にすると、過大な「デフレギャップ」が出てしまう。

平均稼働率で潜在GDPを求めるので、全ての工場がフル生産する事を前提とはしていない。

2. 池田信夫氏が引用しているグラフにも注記が

GDPギャップは誤解されやすい名称だが、普通は推定方法をチェックしたら、その特性に気付くと思うし、池田信夫氏が引用している内閣府の統計の『(備考)2.』にも『潜在GDPを「経済の過去のトレンドからみて平均的な水準で生産要素を投入した時に実現可能なGDP」と定義』と書いてあるのだが、勘違いしてしまったようだ。

老眼で文字が小さく感じても、CTRLと+を押せば拡大できるので、小さい文字も良く読んで欲しい。

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