2012年9月14日金曜日

自由に生きたい若者が増えて、生活保護受給者が増えたらどうするの? ─ リバタリアニズムとパターナリズムの回答

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ネット詩人のイケダハヤト氏が、「自由に生きたい若者が増えて、生活保護受給者が増えたらどうするの?」と言う質問に、生活保護を受ける“可能性”で若者がチャレンジする自由を抑制するのは許しがたいと主張している(BLOGOS)。

@wastingtime_LDN氏が、これを「人間の経済的自由を制限するが、人間の政治的・社会的な自由は全て国家が保障せよというワガママ主義」で、「エセリバタリアン」「リベラリズム」だと批判している(BLOGOS)。しかし、制限される「経済的自由」が何を意味するのかが分からない。

通常、経済的自由とは、職業選択や商取引の自由を意味する。イケダハヤト氏に対する質問や氏の答えにおける自由は、労働形態や就業先を決める自由で、不安定な職業に就く自由も含まれる。だからイケダハヤト氏は、人間の経済的自由を制限するなと言っている。

イケダハヤト氏の信条を分類してみよう。リバタリアンもリベラリストも自由主義者になってしまうのだが、リバタリアンは自由の維持のための政府サポートを嫌い、リベラリストは自由の維持のための政府サポートを求めるようだ。この文脈では、社会保障を強化して職業選択の自由をサポートしろとは言っていないから、リバタリアンだと認定しても良いであろう。

@wastingtime_LDN氏の主張は、生活保護受給者が増える可能性があるなら、職業選択や商取引の自由を制限すべきというように思える。そうでないと、生活保護の原資たる税金を納める人が無くなって困ることになるそうだ。こういうのをパターナリズムと言う。

過剰な選択肢があっては人間は生きていけないし不幸になるのだ。だから、社会や伝統・慣習などに基づいた選択肢・自由の制限(もちろん、この場合は法に基づいていないので強制ではない)が行われるべきなのである。

@wastingtime_LDN氏は保守とリバタリアンの狭間を自称しているが、リバタリアンの対極に近い発想になっている。リバタニアンなら、若者は合理的に職業選択を行うから、職業選択の自由で不安定な職業の人が増えても問題は無いと主張するはずだ。

何はともあれパターナリズムの信奉者がリベラルだとリバタリアンを叩く状況になっている。用語の使い方には注意するべきであろう。自戒を込めて。

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