2022年6月26日日曜日

レトロゲーム好きは読んでおきたい『一揆の原理』

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一揆はゲームのタイトルにもなるぐらいの人気の日本史用語だが、漠然と暴動ぐらいに捉えている人は多いと思う。マルクス史観に沿えば、階級闘争の一形態。しかし、それは誤解らしい。

呉座勇一『一揆の原理』によると、一揆は、仏ではなく神に訴える起請文で明文化することが多い、目的を共有する(身分制社会を前提とした)武士や僧侶も行う一味同心の契約で、デモ(強訴)やストライキ(逃散)と言った団体交渉に近く*1、体制転覆を狙った暴動ではなかったし、序列を定めない義兄弟の契りのような場合もあった。

一味同心は、仏教の平等思想「一味和合」が、国家統制が外れ独自採算になったために貴族社会に迎合した中世仏教から出てきた一揆の(団結?)思想に変化したものだそうだ(pp.83–88)。

史料から分かる限界までであろうが、議論は細かい。体制転覆を試みていないことは、請願文の内容や、一揆参加者が限定的な武装に限っていることから分かるそうで、呉座説に疑問は持ちづらい。百姓がやっていた他人数の場合と、徳政一揆のような不特定多数の場合と、武士(国人)がやっていた少数の場合で、それぞれ回覧板(廻状)、立て札(高札)と集会、文通と、一揆の勧誘方法の細かい手順が説明されているので(pp.95–114)、百姓に限らず行なっていた事も疑念の余地はない。なお、募集ができたら儀式(一味神水)して契約するところの宗教的意義が過大に捉えられてきたそうだが、単なる儀式らしい。

何はともあれ、明治時代の一揆はともかく、一揆がもっとも頻発した中世社会においては、一揆は単なる暴動でも、階級闘争でも無く、結束のための契約であった。一揆は2人からできるので、百姓2人で乗り込むと言う設定がよく批判されているゲーム『いっき』の設定は・・・標準装備は鎌とは言え、竹槍で武装することは稀だったそうなのでやはり違うかも。ところで、最後に一揆にかこつけて現代社会を批評しているのが唐突であった。社会構造が違いすぎて、類比は無理があると言うか。

*1現代で言うと、2011年12月の烏坎うかん事件が近いそうだ。

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