2019年11月4日月曜日

「鏡のヴィーナス」損壊事件からは、初期のフェミニストが表象の差別性に関心を持っていたとは言えない

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ジェンダー社会学者の小宮友根氏が「鏡のヴィーナス」損壊事件をひいて、1910年代に婦人参政権運動をしていた頃の英国のフェミニストからして、裸婦画にある表象の差別性について関心があったと主張しているのだが、根拠が薄すぎなので指摘しておきたい。話によると歴史家Lynda Neadが可能性を示唆した説なのだが、直接の根拠どころか傍証も弱い。

1. 犯行の主動機

「鏡のヴィーナス」損壊事件は、1914年3月10日にサフラジストと呼ばれる過激婦人参政権運動家の一人メアリー・リチャードソンが、ナショナル・ギャラリーに展示してあったディエゴ・ベラスケスの名画「鏡のヴィーナス」に刃物で傷をつけたテロ行為のことだ。すぐに模倣犯が出て他の裸婦画や男性政治家の肖像画も損壊された。メアリー・リチャードソンの犯行声明から、サフラジストの指導的存在であるエメリン・パンクハーストが逮捕された事への報復が、主な目的だと考えられている。

2. 美術館の絵画が狙われた理由

美術館の裸婦画が選ばれたことに、何か意味があるのであろうか。美術館が選ばれた理由は、容易に金銭にして大きな被害を及ぼすことができ、政府がサフラジストを警察力で封じ込める事が不可能だと示せ、さらに当時の美術館が男性だけで保守的な運営を行っていた事が理由だと考えられている*1。「鏡のヴィーナス」損壊事件より先1913年4月に、マンチェスター市立美術館の多数の絵画の保護ガラスを割って回る事件がおきており、有効な標的だとサフラジストが確信するまでの段階もあった。

3. 最初の攻撃対象が裸婦画になった理由

美術館にある数ある絵画の中で、裸婦画、「鏡のヴィーナス」が選ばれた理由はよく分かっていない*2。犯行声明からは、裸婦画への嫌悪は感じられない*3。1952年のStar誌のインタビューで、"I didn’t like the way men visitors gaped at it all day long"(拙訳:男性ビジターが、一日中、口をぽっかり開けてあの絵を見つめるのが好きではなかった)と言及しているのだが、これからだけだと男性ビジターの振る舞いが問題なのであって、表象に差別性があると認識していたのか明確ではない。翌年のメアリー・リチャードソンの1953年の回顧録にはあの絵が嫌いだったとだけあり、Star誌のインタビューでの話に対する補足は無く、文意も微妙に異なる。裸婦を題材とした美術品であることが犯行を促し、メアリー・リチャードソンが性的日用品としての女性の肖像に反対していたと言う解釈があるのだが、明らかに飛躍しすぎだ。「女性のための正義を実現するのをほっておいて、女性を描いた美術作品とかにみほれてるのは許せん*4と言う話だったかも知れない。1952年のStar誌のインタビューでの言及は、1952年の運動家に「鏡のヴィーナス」損壊事件が受け入れられるように意識したものだと言う推測もある*5

4. まとめ

第一波フェミニストが表象の差別性について関心があったとは断言はできないし、むしろ関心がなかったか、少なくとも主な関心事項ではなかったとするのが適切に思える。サフラジストの暴力的活動は多岐に渡り*6、美術館を標的にした犯行でも裸婦画以外の損壊がある。メアリー・リチャードソンに限って言っても、それが裸婦画であったことが「鏡のヴィーナス」を狙った理由のひとつとするのは、証言などでの言及が少なすぎて無理がある。ジェンダー論界隈、自らが支持する政治運動に使えるように論理を捻じ曲げすぎでは無いであろうか。

*1‘Deeds not words’: Suffragettes and the Summer Exhibition | Blog | Royal Academy of Arts

*2有名で警備が薄い絵をターゲットにしたのは間違いない。

*3犯行声明で絵に関する言及は冒頭の一節"I have tried to destroy the picture of the most beautiful woman in mythological history as a protest against the Government for destroying Mrs Pankhurst, who is the most beautiful character in modern history.(拙訳:私は近代史において最も美しい人格のパンクハースト婦人を打ち砕くことを政府に抗議するために、神話における最も美しい女性の絵を破壊しようとした)"だけだが、題材が美しいことを認めた上での話になっている。ヴォーナスだから美しいと言う話な気もするが、モデルが醜悪だとも見るに耐えないとも、裸婦画は不道徳だとも言及していない。また、この犯行声明の一節の為だったら最も美しい物の絵を損壊すればよいので、特に裸婦画である必要はない。

*4高橋しょうご氏の解釈のようだ。

*5“Their campaign of wanton attacks”: Suffragette Iconoclasm in British Museums and Galleries during 1914

*6テロリストと呼ばれた女性たち - サフラジェットが戦い、遺したもの - イギリス女性参政権運動の歴史 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、イギリス生活情報誌 - 英国ニュースダイジェスト

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