2017年8月21日月曜日

ポモ好きも知るべき蝋板と蜜蝋の違い

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ポストモダン思想家のデリダが、人々の性格や能力などの差異における生得的・遺伝的な要素の影響を否定しようとするピンカー定義のブランク・スレート仮説の信奉者であるか否かについて、文芸評論家の山川賢一氏とポモ好きの思想史研究者の仲正昌樹氏が議論を展開しているのだが、山川氏が傍証としてデリダがブランク・スレートと同じ意味になる「脳髄の蝋板」と言う表現を使ったと言う指摘をしたところ、仲正氏が『デリダが「蝋 cire」という比喩を使っているのは、物質の本質をめぐるデカルトの「蜜蝋の分析」を念頭に置いているから』と反論している。蝋板と蜜蝋は随分と異なる概念で、話が噛み合っていない。

蝋板(wax tablet)は古代ギリシャから使われていた、板に蜜蝋を塗りつけたおき、そこに傷をつけることで文字を書く筆記道具だ。英語のscribeの語源にも関係するらしく、欧州では古い文房具としてよく知られている。下の画像はローマ風の蝋板。

蜜蝋はミツバチの巣を溶かして作る物体で、高温では液体だが冷えると固まる。自作のろうそくや化粧品の類を作る人には今でも人気の素材で、ミツバチの巣から自作する人もそこそこいるようだ。動画が幾つもアップロードされていた。下は自作ろうそくを作っている途中の画像である。デカルトの言う「精神の洞見」「知性」の力は、加熱前後の蝋蜜が同じ鍋の中に入っている事が理解できていると言うだけの話であるとか思わないように。

山川氏が引用した箇所ではデリダは蝋板と言っている一方、「蜜蝋の分析」ではデカルトは蜜蝋と言っているので、話がまったく噛み合っていない。仲正氏は、蝋板と蜜蝋の違いを確認したことが無いのであろうか。身近に無いものでもウェブで画像を確認できることが多い時代なので、哲学者の例え話も正確に検証していくべきだし、簡単に検証されてしまう事には注意すべきであろう。こういう混同、ポストモダンらしいといえば、ポストモダンらしいのだが。

なお、詳しい経緯の説明と検証は山川氏自身が書いている*1のだが、画像でモノを確認したのでエントリーを書いた。

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