2017年3月17日金曜日

安達誠司氏のFTPLが量的緩和無効の根拠にならない論について

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エコノミストの安達誠司氏が「現代ビジネス」で、(1)FTPLは1990年代後半にゼロ金利制約下のインフレ説明用に誕生した、(2)拡張的なモデルまで考えればFTPLは量的緩和無効の根拠にならない、(3)理論的には政府支出の拡大と金融引き締めが無いと破綻しないと色々と勘違いしたかうがった話をしており、(4)FTPLを「机上の空論」としている人々の根拠についても把握できていないようなので指摘しておきたい。

1. 1980年代から高インフレの説明用に作られた

FTPLが出てきた経緯についてだが、『1990年代の終盤から2000年代前半にかけて、当初は、主にアメリカのマクロ経済学者の間で「理論的な可能性」として議論されたもの』と言うのは、大きな誤解がある。Sims (1993)の先行研究紹介を読むと、Sargent and Wallace (1981)Leeper (1991)などを挙げているわけで、年代が違うのは明らかだ。1980年代初頭に高金利でも抑制できない高インフレの原因が、経験的に財政政策と突き止められたところから始まっているとして良いであろう。当時は南米の高インフレなども問題になっていた。

2. 複数均衡はよく生じるし、排除すべきとも言えない

『FTPLは、標準的なマクロ経済モデル(「ニューケインジアンモデル」といわれる)の抱える問題点の1つの解決策として提示された』『その問題点とは、金融政策が「ゼロ金利制約」に嵌ってしまった場合(すなわち、政策金利がゼロ近傍まで低下してしまった場合)、モデルが理論的に一意的な解を求めることができない点にあった』もかなりの誤解がある。まず、上述の通り高インフレの研究から始まっていて当初の研究ではゼロ金利制約を主題としていない。また、「ゼロ金利制約」では均衡が一意にならない点が問題としているが、NKモデルにかぎらず貨幣経済のモデルはゼロ金利制約下に無くても複数均衡になりがちだ。貨幣の機能を説明するSamuelson OLGからして、複数均衡であったりする。上手い人だと上手く複数均衡をつくって政策的含意を導きだすので、理論の置かれている状況の説明としてはおかしい。Benhabib et al. (2002)は、FTPLのモデルだが複数均衡になっており、流動性の罠とそこからの脱出方法を議論している。

3. 教科書的なFTPLと量的緩和の関係

安達氏は「プリミティブなFTPLのモデルでは」と例外的な扱いにしたいようだが、「シムズ理論(FTPL)」と言うときは、シムズ教授が言及していた教科書的なFTPLモデルのWoodford (1995)を考えるべきであろう。

実はこの論文では、量的緩和どころかゼロ金利も想定していない。そこで仮定されている実質貨幣需要関数では、それぞれの物価で名目金利と中央銀行の保有資産量が1対1で対応している上に、ゼロ金利にすると実質貨幣需要が無限大になってしまう。ゼロ金利に近い領域も、国債を購入だけでは貨幣供給が不十分で、中央銀行が家計に貸付を行なうような世界だ。

中央銀行がどのように資産を購入するかを考えなければ、金融緩和に限度が無い世界だと思うかも知れないが、この実質貨幣需要関数を仮定して名目金利を下げると、貨幣発行益(=実質貨幣需要関数×名目金利)が膨らんでいき、政府余剰が改善してどんどんデフレになっていくので、効果は狙ったものと逆になる。もう少し現実的にゼロ金利でも実質貨幣需要が有限になるような関数を置く事は容易だが、ゼロ金利では貨幣発行益はゼロになって、今度は量的緩和が無効になる。

シムズ教授は「日本のように政策金利が下がって(利下げの余地がない)ゼロ金利制約に直面すると、金融政策で物価をコントロールすることは、もはやできない」と明確に言っている。日本の量的緩和の実際を見ても、量的緩和を進めるために日銀当座預金に付利をつけていて貨幣発行益を相殺することになっているわけで、政府純負債と政府余剰の現在割引価値の増減で物価水準を説明するFTPLの枠組みでは効果を持たないと言える。

4. 長期国債の買いオペの効果

安達氏がFTPLでも量的緩和に効果がある根拠としているコクラン論文だが、その主張が正しく汲み取られているか疑わしい。「ジョン・コクラン教授による国債の満期構成を考慮したFTPLの論文では、QE政策は、ゼロ金利に近い短期国債の買いオペによるものであれば全く効果はないが、金利がついている長期国債の買いオペであれば、より直近時点のインフレ率を上昇させる効果がある点が明らかにされている」とあるのだが、Cochrane (2001)は国債の期間構造を変えると現在と未来のインフレを交換することが出来ると言う論文であって、中銀の長期国債の保有量を増やせばどうこうと言う話ではないと思われる。違う論文の話かも知れないが、索引などはつけられていなかった。

5. FTPLでも財政破綻はしうる

『FTPLは、デフレ解消のために有効な解(もっといえば、均衡解)を求めることができるがゆえに、学界で脚光を浴びたわけであり、「インフレが止まらなくなる」ことは理論的にはないはずである(この場合には、均衡解が存在せず、解が「発散」するはずである)』とあるのだが、その解が無くなる状況が無いわけではない。FTPLでも政府余剰の割引現在価値がマイナスになったらゲームオーバーで、幾ら物価が上がっても均衡しない。名目金利を下げれば下げるほど貨幣発行益が得られる実質貨幣需要関数を想定すれば、政府余剰は無制限に増やせるのでこの問題は排除できるが、民間保有国債を買い切った上に中央銀行が民間に融資して回って利子を得るような世界になる。現実的には、実質貨幣需要には上限があると考えるべきであろう。また『「最悪のケース」は、政府支出を拡大させながら、中央銀行が金融引き締めを続けるという「政策レジーム」が採用される場合』とあるのだが、FTPLの世界を離れて貨幣流通速度の変化を考えると、一定の財政赤字を続けるだけでも加速的なインフレに悩まされる理屈もある*1

6. 「FTPLは机上の空論」の根拠について

安達誠司氏は、FTPL懐疑論の根拠が良く分かっていないようだ。FTPLで非リカード型財政が信じられていれば、財政赤字の拡大はインフレを引き起こすが、膨大な累積債務を積み上げて来たのにインフレになっていない。リカード型財政政策だと信じられているからと言う言い訳は可能だが、この手の言い訳が可能だという事自体が、検証可能性の面から非科学的である(Kocherlakota and Phelan (1999))。さらに、モデルによってはリカード型財政政策とゼロ金利政策の維持でデフレ脱却が可能であるが、インフレになっていない*2。何より、名目金利をあげたらインフレになると言う仮定を信じるには勇気が要る。

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