2016年4月12日火曜日

炎上や村八分は規範的な行為と言えるか?

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2002年の日経サイエンスの記事「フェアプレーの経済学」について呟いている人がいた。この記事の話から「フリーライダーや道徳的な逸脱行為に対して、その行為の利害関係からは関係ないプレイヤーが率先して罰する行為」として『「炎上」や「村八分」を肯定的に解釈する必要がある』としている。何か変な気がして、無償公開されている原文*1の方を読んでみたのだが、おかしい事になっている。利他的な制裁行動が囚人のジレンマを解消すると言う話だが、炎上も同様だと言えるであろうか。炎上に参加している人々が規範的に正しい判断ができるかと言うと、そう善悪が明確に分からない炎上案件は多い。もし善悪が明確に分かるケースであっても、不道徳を防止する機構は他にもある。ネット上の中傷行為としての炎上が、規範の維持に必要なことは少ないであろう。

1. 実験結果はゲーム理論と合致しない

元の話は興味深い。ナッシュ均衡で有名なゲーム理論だが、数理的な分析結果と実験結果が合致しないので、社会を考える上で進化ゲーム的な視点が重要だと言う話だ。

前半では、2人で行う最後通牒ゲームについて紹介されている。これは先手に、100ドルを分けるとして先手と後手の分配比率を決めてもらい、後手がその分配比率を受け入れれば先手と後手は比率に従った金額が貰え、後手が拒絶したら先手も後手も何も貰えないと言うものだ。ナッシュ均衡だと先手99ドル、後手1ドルのように、先手の利益が最大化され、後手は僅かな金額でも得になれば受け入れる事になる。しかし、実際に最後通牒ゲームをプレーしてみると折半にする人々が多いし、先手の利益が大きい場合は後手は拒絶する事が多い。民族によって差異はあるものの、理論通りの行動を取ることは無い。

後半では、公共財ゲームについて紹介されている。これは4人にそれぞれ$20を配り“投資”額を決めてもらい、合計“投資”金額の2倍を4人で分けるゲームだ。4人全員が全額を“投資”するのがパレート最適*2かつ社会的余剰が最大になる点だが、フリーライダー問題から誰も“投資”しないのがナッシュ均衡になる。自分はコストを負うことなく、他人の投資の利益を掠め取る事ができるからだ*3。囚人のジレンマの一種である。実際に実験すると、最初は“投資”されるのだが、何回もプレーするうちに誰も“投資”しなくなるらしい。ここで30セント払うと1ドルの制裁を与えられるようにルールを改変すると、興味深いことが起きる。ペナルティーを与えるのもコストがかかるため同様にフリーライダー問題が生じてナッシュ均衡は同じはずなのだが、実際は公共財投資が多くなるし、フリーライダーへの制裁行為が熱心に行われる。制裁を通じてフリーライダーを教育し、長期的利益を追求する行為に思われるかも知れないが*4、ゲームごとに新しい人とプレーするようにして、同じ人とプレーしないようにしても、この効果は観察されるそうだ。著者らは復讐は甘美と表現している。

この制裁行動は、自分に直接利益が無いので利他的である。利他的なのはそういう個性だからと説明されがちだが、なぜそういう個性になったのか疑問が残る。その理由は生物学的な機能であろうから、人間は協力して社会を構築する生物と言う事であろう。だから実際の人間は、経済学が前提とする利己的な経済人とは異なるもの*5であると言うのが、論文の主張であった。

2. 利他的な制裁行動は規範的と言えるか?

理論家には不満が出そうな主張ではある*6が、とりあえずこの論文の主張を受け入れた上で、「炎上」を肯定できるか考えてみよう。

最後通牒ゲームでも、公共財ゲームでも、(功利主義的だが)規範的な行動は分かりやすい。さらに公共財ゲームでは、制裁行動が取られれば、規範的な行動が誘導される。このようにフリーライダーに制裁を与えるようなときは機能するであろう。しかし「炎上」の大半は、フリーライダーを批判するものではなく、物事の捉え方のように阻止する価値が不明瞭なものが多い。また、第三者が状況を正しく把握し、規範的に正しい行動が取れるとは限らない。しっかり安全性を確認して出荷を行っていた福島の農家に、人殺しと言ってのけた心の無い人々がいた事を思い出して欲しい。外国に目をやると、特定民族の迫害行動に反対した人々も迫害された事もある。主張が規範的だとしても、制裁が過剰になることもある。さらに、他のゲーム理論の実験では、犯罪者の方が公共精神溢れる結果を出したケースも報告されている*7。利他的な行動を取れることは、社会規範を理解している事を意味しない。

進化ゲーム論が正しく、利他的な社会的制裁行動が人間の本能であると説明できたとしても、本能が規範的であるとは言えないわけだ。そもそも規範自体にバリエーションがある*8

*1Sigmund, Fehr and Nowak (2002) "The Economics of Fair Play," SCIENTIFIC AMERICAN, Jan

*2誰かを犠牲にすることなく、誰かの状態を改善する事ができない状態。

*3例えば、4人がそれぞれ20ドルを投資すると、160ドルを4人で分割することになり、それぞれの利益は投資金額を引いて20ドルになる一方で、3人が20ドル、1人が0ドルを投資すると、120ドルを4人で分割することになり、投資した3人の利益は10ドル、投資しなかった人は30ドルになり、フリーライドをするインセンティブが出てくる。

*4もっとも無限繰り返しゲームにしないと、制裁行動は均衡にはならないであろう。

*5選好の一貫性があればホモ・エコノミクスになるので、進化ゲーム論によって説明される利他的な選好をもっていても良いはずだが、著者らは狭義に定義している。

*6この論文でも指摘されているが、こういう実験で得られた経験則は民族などで変化し安定的ではないし、だんだんとゲーム理論が示す均衡に近づいてくる。こう考えると、やはり均衡分析が重要と言うような話がある(関連記事:人はなぜ協調するのか ─ くり返しゲーム理論入門 ─

*7同時手番ゲーム(e.g. 公共財ゲーム)と逐次ゲーム(e.g. 最後通牒ゲーム)で女囚と学生を比較した実験では、女囚の方が協力的であった(関連記事:囚人のジレンマを実際に囚人で試すとどうなるの?(カタカタカタ)。

*8倫理学の話』を読むと色々な考え方があるのが分かる。

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