2016年2月16日火曜日

ある元慰安婦の証言の信憑性について

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従軍慰安婦問題に熱心なネトウヨさんは元慰安婦の証言の辻褄があわない部分が気になって仕方が無いのか、ネット界隈では発言の端々が検証されている。よく槍玉に上がっているのが金福童氏で、本人の発言では無さそうなものまで批判されており*1、さらには偽者とまで言われている。これは不当な扱いで、本物の元慰安婦であろう事は示されているので、そこまで疑う必要は無いであろう。しかし、元慰安婦であることを示す証拠が、証言全体に強く疑いを投げかけるものになっている。

金福童氏が本物の元慰安婦であろう事は、次のような論法で示されている。太平洋戦争終結後、「日本軍は朝鮮人の軍慰安婦を軍属で採用」しており*2、『陸軍第一〇病院に八月三一日付で「雇人」になっている』年齢が近い金福童なる人物がいる*3。1994年3月の金福童氏の証言にある陸戦病院で行った看護作業と整合的である。年齢があわないと言う批判もあるのだが、昔は生年月日の扱いが粗雑だったし*4、数字が適当な人はいるのでここは問題ない。朝鮮人には同姓同名が多いので、偶然の一致の方がありそうだ。もっともこれも、初期の証言と最近の発見が整合的なので、疑ってかかる必要も無いであろう。しかし問題が無いわけではない。証言*5の以下の部分が気になった。

私たちの国は、日本の侵略によって植民地とされ、日本の政権のもとで、朝鮮の名前も使うことができず、日本名に変えさせられました。

金福童氏が元慰安婦であったと言う証拠である、1947年9月に作成された軍属名簿「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」には、朝鮮名である「金福童」と記されている

さすがに、虚偽を承知で証言しているとしか思えない。証言の他の箇所も同様の箇所が多くあるのでは無いであろうか。

証言全体も、金福童氏がシンガポールで多くを過ごしたと言う割りには、2013年に発見されたと話題になったビルマとシンガポールで働いていた慰安所従業員の日記*6との整合性が乏しいように思える。慰安所従業員は年季明けで帰国する慰安婦、新しくやってくる慰安婦の送迎や、慰安婦の貯金や送金の代行などに追われているが、金福童氏の話には金銭を受けとったような話が無いからだ。同じ元慰安婦でも色々な逸話を詳細に語っている文玉珠氏の証言は、慰安所従業員の日記との整合性が高い*7のだが、金福童氏の証言は信じて良いものであろうか。

*1金福童氏の話とされている、ジープの話は鄭陳桃氏、クリスマス休暇の話は黄錦周氏(の発言を歪曲)のようで、(太平洋戦争中の日本軍は利用していない)ペニシリンやヘリコプターの話は出典が確認できなかった。何はともあれ、証言集などの出典は確認する必要がある。

*2アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅱ 南・北・在日コリア編・下』明石書店、2010年”に記述がある。

*3慰安婦 : キム・ボクトン ハルモニの証言 : 在日朝鮮人から見た韓国の新聞

*4今でも南米出身のサッカー選手は、出生証明が疑われる事がある。

*5証言・金福童 - 15年戦争史」に1994年3月の証言が転載されている。

*6資料解題 安秉直、監訳 堀和生・木村幹「ビルマ・シンガポールの従軍慰安所

*7例えば文玉珠氏の証言に酔って軍刀を抜いて暴れる軍人の話があるのだが、慰安所従業員の日記にも同様の事件が記録されている。なお、文玉珠氏は刀を奪って暴れた下士官を刺し殺し、慰安所従業員の場合は部下か同僚が取り押さえたそうなので、日本軍人の非力さが垣間見れる。

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