2014年10月29日水曜日

日本の高等教育に必要で簡単に実現できるモノ

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先日のエントリーで戦略コンサルタント冨山和彦氏の大学教育の階層化構想の問題点を指摘したところ、「現状がいい/マシと言いたいのだろうか?」と言うコメントをもらった。答えはYESで、冨山提案よりは現状の方がましだと思う。しかし、現状に改善の余地が無いとは言えない。(1)大学教育が職業教育に適していないと言う不満が産業界から、(2)入学者の質が悪く大学教育が満足に行なえないと言う不満が大学側から出されているのが現状だと思うが、高校卒業試験を行い成績証明書を出せば、これらの問題は解決すると思う。

1. 雇用主から見てスクリーニング機能になる

大学教育が職業教育に適していないと言う不満があるのだが、だったら企業は専門学校からの採用人数を増やせばいい。そんな事はしないのは、(a)大学の方に優秀な人材が行ってしまうからか、(b)専門学校より大学教育の方が望ましいかだ。産業界からの大学批判から、(b)は無いとしよう。(a)だとして、優秀な人材はなぜ大学へ進学するのか。出身校には能力をスクリーニングする機能がある。名門大学の中身が空っぽでも、入学するのが難しいので、能力の指標として重用されるのだ。名門大学卒でなくても能力がある事を示すことができれば、本当に職能教育が企業から求められているとして、専門学校からの採用人数が増えるであろう。専門学校が不足するかも知れないが運営コストは安いので、大学から看板を付け替える所も出てきて供給はすぐに増えるはずだ。

2. 学力の底上げになり、大学教育が充実する

大学関係者から見ても、悪い話ではない。私大が乱立して競争をしているのだが、入試科目を絞る傾向がある。しかし、低いレベルの学生には、低いレベルの講義しかできない。大学で学ぶことが役立つにしろ、十分な教育を施して卒業させられない問題が発生する。経済学では数学を勉強していない学生は問題になるし、医学部でも生物を勉強していない学生が問題になったりする。米国だって、基礎学力の低い学生は、まともな教育にありつけない。入試科目を絞る大学も悪いのだが、私大は学生を確保しないと潰れてしまうため、囚人のジレンマで個別には改善できないのだ。高校卒業試験を行なえば、最低限の学力は身について来る*1はずなので、だいぶマシになるであろう。

3. 大学の教育効果を評価することが可能になる

教育の効果測定は意外に難しい。高等教育になればなるほど、教育が社会的にどういう意味を持つのかは不明瞭になる。四則演算が出来ないと困ると言うのは自明だが、フビニの定理の証明が出来ることが所得や幸福度にプラスなのかは良く分からない。数学力と所得の関係が統計的にわかっても、地頭が良いから数学力も所得も高いだけで、教育効果はゼロな可能性もある。

高校卒業試験の成績が出ると言うことは、高等教育を受ける前の基礎学力が所得や幸福度に与える影響と、大学教育で得た学力が与える影響を分離する事が大雑把にできるようになる。傾向スコア・マッチングなどで、三十歳や四十歳のときの所得や幸福度と大学教育の関係を、今よりずっと明確に分析できる。なお厳密には、金銭欲のある子が行きやすい学部などもあるだろうからランダム化比較実験が望ましいわけだが、効果測定のために本人の希望を無視した教育を行うわけには倫理的には行かない。

高校生には大きな進学情報になるし、学部の統廃合や教育内容の評価にも使える。今は統計情報なしで教育の良し悪しを議論しているようなものだから、大きな改善につながるのは間違いない。

4. 戦略コンサルタントの貧弱な発想力

手間隙がかかるように思うかも知れないが、実質的にはセンター試験受験を義務化するだけなので、高校卒業試験の運営コストも大した事は無い。社会的コストが増えることもない。社内研修に熱心な企業が高等教育を評価しなければ、高卒が増えて高等教育を受ける人が減ったりする気もするが、それはそれで効率的な資源配分と言えるであろう。何はともあれ、米国でも行われているし、そう突飛な話でもない。だから高校卒業試験の義務化と言う結論に辿りつかない方が、不思議でならないぐらいだ。

*1大学教育で奇問・難問が解ける必要は無い。数学であれば、主要な定理の証明が自分で出来る程度で十分であろう。

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