2013年7月26日金曜日

下村文科相が入試で「人間力」を問えと主張

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EM菌、親学、ナノ純銀などの疑似科学サポーターとして名高い下村文部科学大臣*1が、「学力一辺倒でない人間力を判断する入試のあり方について議論していきたい」と発言して話題になっている(NHK)。早速、インターネット界隈で議論が深まっているようだ。

皮肉に充ちた肯定的な意見として、「馬力が測れるんだから人間力も測れる」と言うものがある。ただし、「SI系で定義できる単位を用いて人間力の定義をしてもらった上で、それを得るための等式を示して欲しい」と言う要望もあり、漠然としたままでは困るようだ。

人間力は、SI単位系では無いと言う見解もある。「人間力というなら基礎はなんといっても体力だろう」と言う意見や、「女子力や妊娠力なども入試の判断基準になる」と言う意見がある。下村大臣の詳しい見解が待たれるところだ。

学力を人間力に変えて議論しても、受験のあり方は変わらないと言う議論もある。『「いいかあ、人間力試験はこれだけ憶えとけば大丈夫だ」「ここ、人間力が判断されるとこだから、よく叩き込んでおけよー」みたいな授業』や『代々木ゼミナール夏期講習「人間力演習」等対策がすぐ出てきますよ』と言う見解だ。

正体不明な人間力だが、万が一、それが計測できたとしても意義は謎だ。学校は勉強するところだから、学力で生徒を選別する事に問題は無いからだ。『大学入試の合否が「人間としての質の評価」かなにかだと思っている』から、このような議論が出てくると言う見解もある。逆に、『人間力が劣っていると烙印押されたら、逃げ場ない』と言う話もあり、倫理的に安易に評価基準にするのは問題があるかも知れない。

個人的見解を述べておくと、「人間力」試験を導入しようとしても、最終的には道徳の試験になって、名誉毀損、誹謗中傷、背任や汚職などの倫理と法律に詳しい子供が増える*2か、推薦状の影響力が増して中高教員の政治力が高まるかのどちらかになると思う。どちらの方向なのかは下村文科相の心の内次第であろうが、後者であれば入試の公平性を失うことになる。

*1やや日刊カルト新聞: 安倍内閣、組閣人事の目玉は文部"擬似"科学大臣

*2教育勅語のような内容では試験科目にできるほどバリエーションが増えないため、具体性が増してくると思われる。法的責任を教える授業が増えることを意味するのであれば、「人間力」は肯定的に捉えるべきかも知れない。

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