2023年4月19日水曜日

人権の裏にある倫理にも触れて欲しかった『人権と国家 — 理念の力と国際政治の現実』

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社会学者の筒井清輝氏の『人権と国家 — 理念の力と国際政治の現実』を拝読したのだが、議論がぼんやりとしていたので記しておきたい。

本書は第二次世界大戦後に国連憲章と世界人権宣言によってできた国際人権なるものが、紆余曲折を経て国際社会にどのような影響を与えてきたかをまとめたもので、為政者が人権に口先だけでもコミットしたら、そのうち真面目に対応することになる「空虚な約束のパラドックス」によって、国際人権が世界に浸透してきたというのが主な主張である。細かい話で気になる部分もある*1が、ここまではそういうものか~と読める*2

国際人権とはどのようなものか気になるが、「自分の属する集団に限らず全ての人間に人権が保障されるという普遍性原理と、他国での見知らぬ人々に対する人権侵害であっても、内政問題であるとして無視してはならないという内政干渉肯定の原理が、現代の国際人権をそれまでの人道主義と区別する二つの柱」と説明されるので、国境の無い人道主義と言ったところになる。しかし、どのような人道主義が望ましいか、著者は倫理的な立場を明らかにしない。

著者は「市民的・政治的権利と経済的・社会的権利のバランス、文化相対主義と普遍的人権理念の葛藤、表現の自由とヘイトスピーチの境界、中絶や安楽死の問題に絡んでくる人の命の始点と終点の問題など、一筋縄ではいかない哲学的・倫理学的議論が続いている」など「国際人権の理念に様々な矛盾が内在する」と認めつつ、「全体として普遍的人権の理念は、理論のレベルでは依然として国際社会で高い正当性を保持」していると主張するが、矛盾しているものに理論的な正当性があるわけがない。

著者は国際人権にコミットしなければならないと強調するが、国際人権、人道主義に矛盾があるわけで、それらにコミットしたくても方向が定まらない。実証分析が不足しているので方向が定まらないのであれば技術的な問題であるが、規範的な方向も示せていない。逆に言えば、どのような人道主義が望ましいか著者が自らの倫理的な立場を明らかにしていれば、それに沿うことで人道主義の矛盾を解消する方向を示せたはずだ。人権は話を戯画化する道具に過ぎないことに気づくことになるが。

*116世紀のコンキスタドールの悪行で苦しむ現地人を助けるために、ラス・カサスの提案でシスネロス枢機卿がつくったインディアス審議会を考えると、自分とは異質な外集団への共感が18世紀に芽生えたと言うのは疑念があるし、統計上のスウェーデンの性暴力の多さが「性暴力を防ぐシステムが非常に進んでいるため」(p.139)と言える根拠が謎だ。絶対数が多すぎるし、性暴力事件の捜査が後回しになると言う報道もある。

*2他に国際人権の話を読んでいないので、記述の是非が分からない。

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