大人気だったのは間違いなし。
ミクロ経済学で必ずと言って言及されるが、深入りはされないウェブレン効果で知られるソースティン・ヴェブレン*1は、著書の翻訳もあるのにネット論壇では人気が無い。ケインズあたりと比較したら誤差レベル。古臭い事を書いていて読んでもツマラナイからかなと思っていたのだが、ちょっとした理由から一冊読んでみたら、本当に19世紀の本かと疑いたくなるぐらい、現代的な話が書いてあった。
最近は古典の新しい翻訳が積極的に出されていて、ヴェブレンの著作も例外ではない。村井章子(訳)の『有閑階級の理論』を拝読したのだが、現代的な日本語になっており読みやすい。書いてある話も、現代に通じるものが多い。巻頭にあるジョン・ケネス・ガルブレイスの紹介では、挑発的な内容が分かりづらく書いてあるように解説されるが、そんなに分かりづらいわけではない。
だいたい立身出世に役立つ略奪的・競争的な思考習慣*2と、生産活動に役立つ勤労本能の二つの観点から、社会/文化/消費などがどちらの発露なのか議論している。曰く、社会的エリートは略奪本能に優れていて、彼らが好むスポーツや宗教は、現代社会には寄与していないようなことが書いており、体育会系ノリ嫌いの労働者階級の皆さんには小気味が良さそうだ。金持ちが憎い人は「良心の呵責、同情、誠実、生命の尊重といったものと無縁な人は、だいたいにおいて、金銭文化の中で個人として成功できるだろう。」(p.246)と言う言葉*3で溜飲を下げられる。オレが不遇なのは、オレが高潔なため(キリリ
ただし、19世紀の有閑階級は、21世紀の労働者階級に通じるところがあるのには注意したい。「体面を保つための支出をしなければならない階級で出生率が低いのも、衒示的消費の水準を維持しなければならないことに起因する。衒示的消費に加え、他人に見劣りしないように子供を育てるのに必要な支出が重ねれば、相当な負担になる。これが、子供を持つことの大きな阻害要因となるわけだ。」(p.139)に、共感を覚える夫婦は多いはずだ。経済学も統計学も未成熟な時代なので論拠は弱いわけだが、高い直観力がある。
(当時はニューウーマンと言ったが)フェミニズムに関する言及も興味深い。女性は労働意欲が強いので、退屈な労役をする立場でなくなり、夫の庇護で満ち足りた無為な有閑生活を送るようになると、産業活動に関わりたい欲求が強く出るそうだ(pp.358–360)。ウェブレンの主張に沿うように、家電や水道の発達で家事労働の負荷が下がった女性が外部労働に参加するようになった。「女性は、世間の規範が自分に何を要求するかということに非常に敏感だ」(p.357)と言う一節が、100年後の世界の広告などの女性表現に苦言を述べるSNSの女性たちを説明している。
もちろん、時代が違うので、微妙な話もある。「猫は何らかの目的の役に立つ場合もあるので、犬や競走馬に比べるとあまり無駄とも言えず」(p.172)と言う、21世紀には理解し難い文章が残されている。「産業の経営者にも労働者にも求められる「知性」とは、定量的に決定された因果関係をすみやかに理解して適応する能力以外の何物でもない」(p.297)と言う一文は、現代社会にも通じそうと言うか、この言葉を投げかけたくなるときがあるわけだが、逆に言うと100年経っても資本主義世界に十分な知性が発達していないとも言える。資本主義に必要な知性は、他にもあると言うことであろう。しかし、それが分かっても引用したい一文である*4。
大恐慌の25年前に書かれた『企業の理論』でのバブル経済の描写も、今読んでも「ビジネスあるある」みたいな感じがしてけっこう鋭かった記憶がある(twitter)そうだし、ヴェブレンの著作はもっと読まれるべきだ。きっとツイッターで呟きたくなる一節が待っている。
*1他にも効用関数に財の保有額の序列が入るような話をしていて、ヴェブレンの名前は出ていなくとも、アイディアが生き残っているか再考案されていたりする(Alvarez-Cuadrado, Monteiro and Turnovsky (2004))。
*2先天的な性質(傾向性)なのか、社会的・階層的な伝統(ミーム)なのかははっきりしない。
*3評判が重視されず、協調ゲームと言う概念が無かった時代なので、アグレッシブさが過剰に有益に書かれているきらいはある。
*4オマエに必要なのは「無目的の身体鍛錬は退屈きわまりなく、堪えがたい。」(p.276)の方だって? — (∩゚д゚)アーアーきこえなーい
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