2020年1月17日金曜日

こんな慈悲的性差別主義(benevolent sexism)なんて概念を持ち出さなくても

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先日、女に慈悲をかけると女のためにならない、男が女に慈悲をかけるのが当然と思っているうちは集団としての女性の地位は高まらないと言うような論調のエッセイ*1で、慈悲的差別と言う単語が使われていた。大半の人にとって聞きなれない単語だと思うが、具体的に何がそれに該当するのか判然としない面があるのを指摘しておきたい。

1. 慈悲的性差別主義とは

検索しても説明に一貫性を感じないのだが、慈悲的差別主義は次のようなものとされている。性差別主義者(sexist)には、女性が能力的に男性に劣るという考えである敵対的性差別主義(hostile sexism)と、妻や母としての出産や育児など伝統的な女性の役割を崇敬すうけいし、恋愛対象として女性を美化し、男性は女性を保護する義務があるという考えの慈悲的性差別主義(benevolent sexism)の両面性があり、一見、害悪が無さそうな慈悲的差別主義も、女性にパターナリズムを受け入れさせ、性差別(gender discrimination)を正当化して維持することで不平等をもたらす可能性がある。女性は男性よりも特定の役割が得意と言う偏見と、男性は女性を守らないといけないと言う義務の二つの話から構成されており、多義的になっていることに注意したい。

2. 行為や制度が慈悲的差別主義に基づくか識別は困難

こういう風に説明されると、性差別は敵対的なものと慈悲的なものに綺麗に分類できそうな気がするが、具体的に観察できる差別(discrimination)の分類と言うよりは人々の内面にある考え方(-ism)を指す概念で、現実の男性の振る舞いや社会制度が慈悲的差別主義に基づくものか、それとも思いやりや社会慣習によるものか明確に識別することは、主唱者にとっても困難だ。問題のエッセイで慈悲的性差別の例に挙げられていた「食事のとき男が女に奢るのは当然」と言う考えは、男女のそのデート代に対する限界代替率の違いや、デート市場における男女の市場価値の違いを反映しているだけかも知れない。別の例「男のほうが力が強いのだから力仕事は男がするのが適材適所だと思う」に至っては、「女性は力が弱いので、力仕事に向かない」の言い換えなので、敵対的性差別主義に分類した方が適切に思える。

社会制度が慈悲的性差別主義に基づくものかは、さらに判定が難しくなる。「女の幸せは結婚なのだから、婚期を逃さないように女性の定年は30歳」ぐらいであれば、伝統的な女性の役割を崇敬した考えによる性差別であるとはいえるであろう。しかし、問題のエッセイで議論されている産休・育休という社会制度*2は、慈悲的性差別とは言い難い。形式的には男女どちらも取れるし、実態として男性がほとんど取らないことを前提にしても、出産後もキャリアを継続したい女性のための制度である。育児は伝統的な女性の役割ではあるが、子どもがいるのに責任ある立場で外部労働を続けるのは伝統的とは言えない。結婚・妊娠/出産・育児に関する選択は女性が行うわけで、パターナリズムに基づくかは議論の余地がある。問題のエッセイでは、女性の妊娠・出産・育児を支援する制度があり、それを利用する女性従業員が増えれば増えるほど、(職場での人員不足のしわ寄せを含めた)女性の雇用コストが増えるので女性の採用枠が減ってしまい、結果的に男女格差が生じると言うようなメカニズムを想定しているようだが、このメカニズムが成立しているとしても*3、制度の設立趣旨が慈悲的性差別主義に基づいていなければ、単なる失敗メカニズム・デザインと言うだけになる。なお、大多数の女性の厚生を考えたときに、産休・育休が失敗政策であるかは自明ではない*4

3. 慈悲的性差別主義に基づく行為でも、性差別とは限らない

慈悲的性差別主義に基づく行為が、性差別に該当するようになるかは自明ではないのにも注意が要る。ストレスがかかるが評価につながる仕事は業務外の生活を充実すべき女性には担当させないと個人的信念で仕事を割り振っている管理職は、慈悲的性差別主義者であるし、その行為は女性の昇進機会を女性の同意なく女性だからと言う理由で奪うものであるから性差別と言えるが、両者が同時発生すると見なせない場合も多い。この概念の主唱者たちは、「妻は外で働かなくて家でゴロゴロしていても、俺が稼ぐからよい」と言える甲斐性のある男性の考え方は、女性の出世欲や就業意欲を削ぐことで、女性を伝統的な役割に甘んじさせ、男女格差をもたらす慈悲的差別主義であると言うような説明をしている*5が、外で働いても働かなくてもよいと言うのであれば決定権は妻にあり、差別的取り扱いを受けているとは言い難い。女性の決定によっては、(妻の賃金獲得能力が夫より低いとして)夫との経済的格差が拡大するわけだが、専業主婦は被差別集団とは言えない。

4. 議論するのに避けたい概念

慈悲的性差別主義という概念、避けられるのであれば避けた方がよいのでは無いであろうか。多義的になっているので、議論に混乱を生みそうである。必要性も薄い。育児は母親の方が得意と言うような女性に対するポジティブな偏見は男女ともに広く観察されるとは思うが、そのような偏見からつくられた現実の制度はちょっと思いつかない。そもそも何かの社会制度が男女格差をもたらしていると言うような話をするにしても、その制度が慈悲的性差別主義に基づいているかは議論の本題では無いであろう。人々の個々の行動も、慈悲的性差別主義に基づくものなのか、それとも他の理由で生じているものなのか判別するのは困難なことが多い。人々の心理に立ち入って議論したい場合でも、問題にしている偏見が具体的に説明可能なのであれば、この敵対的/慈悲的で分ける大雑把な説明は不要になる。ネット界隈で口やかましく図々しい主張を続けている女性アカウントに投げつけてやる単語としては悪く無いのだが。ところで、問題のエントリーで格差と差別を混同しているのは、ネット界隈のフェミニストへのあてつけだと信じたい。

*1慈悲的差別の罠:女性への思いやりは容易に構造的差別に転化する|ショーンKY|note

*2既婚女性医師のパートタイマー化も議論の範疇だと思うが、これは賃金水準の低下も生じるもので、同僚に慈悲をかけられていると言えるのかは自明ではない。

*3大多数の女性が妊娠・出産・育児を優先目標に人生設計を行っていれば、産休・育休と言う制度が無ければ妊娠を機に離職するだけであり、それを前提に採用人事で統計差別が行われるであろうから、産休・育休が女性の採用枠を減らしているかは自明ではない。実際、時系列データをざっと観察する限りだが、女性の妊娠・出産・育児を支援する制度の拡充で、女性の外部労働参加率の上昇や担う職種や職位の拡大の足かせにになっているわけでは無い。

*4大多数の女性が妊娠・出産・育児を優先目標に人生設計を行っているのであれば、全員が産休・育休を取らないことで社会的厚生が改善されるようなことは無く、問題のエッセイ中で主張される「女性個人にとって得になることを女性全員がやると女性全体にとって不利になる」という「囚人のジレンマの変形」は無いことになる。

*5問題のエッセイでリンクされていたGlick and Fiske (2001)の"college women who implicitly associated male romantic partners with chivalrous images (e.g., Prince Charming) had less ambitious career goals, presumably because they were counting on a future husband for economic support"から考えた。想像するだけでよいので非実在甲斐性あり男性でもよい気がするが、見逃してください。なお、「どうせ女が稼げる額は高が知れている」と言うのがつくと、慈悲的性差別主義から敵対的性差別主義に転化する。

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