時折名前を見かける哲学者デネットさんの集大成と言われる『心の進化を解明する』が話題だったので、半年前に読み始めて何回かの積読の末にようやく読了したので紹介したい。大学院で使うような辞書的な教科書に比べれば薄いのではあるがやはり分厚い上に、読み飛ばしたらあかんのだろうなと思っていたら読み進まなかった*1。とは言え、哲学書と言っても常人が読める文章が書いてあるし、訳者も平易な日本語にしてくれているしサポート・ページもあるので、時間さえあれば誰でも読める。
1. ヒトの知能の特殊性の説明は難しい
機械学習はまだ知能とは言えないような指摘をする工学者は、何をもって知能と呼ぶべきかはっきり認識しているであろうか。こっそり強い人工知能を夢見て研究開発をする工学者は、何を目指しているのか理解しているのであろうか。もちろんヒトの知能を目指しているのだが、ヒトの知能がどういうモノかを説明しろと言われても、回答を十分に用意していない人々が大半であろう。ヒトの知能が動物に勝ると言うのは自明に思えるであろうが、何が勝っているのかと言うと意外に難しい。道具を使うのはヒトだけと言うわけではなく、カラスは木の枝をつかってエサをとることも、水たまりに石を落として水位を上げることもある*2。道具を作るのはヒトだけと言う古い話もあるが、カレドニアガラスも道具を作る*3。
2. ミームがもたらしたグレゴリー的生物がヒト
本書によると、ヒトは体系的な抽象的、具体的な思考道具(e.g. 算術,二重盲検法)を持つ唯一のグレゴリー的生物だ。サルだってヒトの真似をして自動販売機にコインを入れてジュースを買えるが、サルは自動販売機の機械的構造やコインを受け付ける経済的理由を理解することはない。サルは状況(と言うかアフォーダンス)に応じて思考をして行動を選択するポパー的生物ではあるが、グレゴリー的生物ではない。丸くて薄い物体を投入口に入れて、バンバンとボタンを叩けば缶が出てくることだけを理解する。なぜ人類だけがグレゴリー的生物なのであろうか。
ヒトは進化の過程でミームの媒体になるだけの脳組織を持ち、さらにミームの有用性からさらに媒体として適するように脳構造をダーウィン進化させた。ミームは言語や音楽のような文化や思考道具で、他のミームと競合しつつ徐々に形態を変化させながら人から人へ広まっていくソフトウェアだ。伝達される思考道具は単なる事実知やノウハウだけではなく、何重ものメタ表象を取り扱うことをも含み思考の対象を無限に拡大できる。ミームの発展も探索的なダーウィン的進化から、方向性のあるデザイン過程へと変化していく。また、他者とミームをやり取りするためには、自分と他人の思考を切り分け、自分の思考を他人と共有すべきか判断するために自己を認識する必要があり、ヒトの意識が生まれることになった*4。これにより自己監視が可能になり、用いている思考道具を調整や交換することが可能なのだ。こうして、ヒトは体系的な抽象的/具体的な思考道具を備えられるようになった。
3. 第15章の最後の節だけでも読もう
進化生物学あたりから見て正しい議論なのかは定かではないが、なかなか壮大かつ説得力がある議論に思える。マイナーな部分でちょっと変かなと思う部分はある*5が、まぁ、マイナーな問題である。なお、点在気味の議論をつなぎ合わせただけではなく、上のカラスとサルの例は勝手につくっていたりするので、内容はもちろん実際に読んで確認してほしい。細部の詰めや論証や批判への反論*6が不要な人は第15章の最後の節「旅を終え、帰還へ」に簡潔なまとめがあってそれを読めば十分であろう。なお、第15章には人工知能好きSF好きが見過ごせない次のような主張が書いてある:ヒトの知能と人工知能を比較すると、ヒトは自己監視が可能であり思考道具を自分で調整・交換することができるが、人工知能はそうではない*7(p.588)。将来的には同等になる可能性はあるが、それまでは人工知能の機能を過信しないように人工知能をヒトと錯覚させるようなインターフェイスをつけるべきではない(p.607)。創作物にしろ研究室で開発しているものにしろ、ヒト型ロボットが大好きな日本人が喧嘩を売られている気がするのは気のせいであろうか。
*1オントロジーや浮遊理由、ダーウィン的生物/スキナー的生物/ポパー的生物/グレゴリー的生物(p.161)など覚えないと読み進めづらい単語があり、その中に外見的イメージ(pp.107—108)など日常語と紛らわしいものと訳注を見ないと分からないサブパーソナルなどがあって、この分野に慣れていないので読みづらかった。
*2カラスの知性:石を入れて水位を上げる動画|WIRED.jp
*3道具を作る唯一の動物、カレドニアガラス – Discovery Channel Japan | ディスカバリーチャンネル
*4便宜的にあるのでユーザー・イリュージョンと言うことになるようだ。なお、デネットが本書で熱心に批判するデカルト的二元論だと確かにあるものになる。
*5デネットの文ではないが、第13章のp.440で紹介されているアズーニさん曰く非典型のコミュニケーション事例、あるあるこんなもんだよねー?と思って読んでしまった。
p.442に素人のPhotoshopユーザーはレイヤーを使わないと宣言されている。アマチュア絵師が怒り出すので、素人のExcelユーザーは表計算をしないと書いて欲しかった。セミプロだから良いのかも知れないが。
p.445でJava Appletが広く使われていることが前提になっているが、現状、ウェブブラウザ上のインタラクティブな動きはJavaScript一択なので、何となく混同しているように感じる。また、JavaコードでJavaバイトコードを意味しているのには違和感がある。ソースコードもあるので。
ピンカーさんの主張の説明なので本題ではないのだが、palimonyの語源のソースはWikipedia(p.479)なのがちょっと気になる。
*7抽象概念の獲得すらできない(ディープラーニングの限界 | POSTD)ことではなく、そっちで来たかと言う感じである。
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