2011年11月11日金曜日

経済学で言う『合理性』は、他分野からは分かりづらい

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労働法が専門の野川忍氏と労働経済学が専門の安藤至大氏が公開文通形式で労働契約を議論している(「野川『新訂労働法』総論第1章「労働法の原理」について (安藤) 」「法学は自己の守備範囲を明確にする(野川) 」「労働者には合理的な判断力がないのか (安藤) 」「合理的選択になじまない労働契約の構造」)のだが、言葉が噛み合っていないのでもどかしい。労働者の合理性について、野川氏と安藤氏で見解が一致しないのだが、そもそも両者で単語の定義が異なるのだ。そして、もっと深いところで労働問題へのアプローチの相違があるように思え、そちらの議論を深めるべきのように感じる

1. 自己の欲求に対して合理的な労働者

経済学で言う合理的な人間は、自分の選好を理解した上で、選好に一致した行動を選択する人の事を言う。働きすぎたら疲れるので幸福度が下がる人は、合理的に仕事をサボり出す。大半の経済学の教科書が労働と休暇のトレードオフ関係で書かれているのは、暗に怠惰な人間も合理的だと言える事を示している。

労働契約の分野で考えれば、経営者が従業員を扱き使うのは合理的な行動だし、従業員がサボって給料泥棒を目指すのも合理的な行動になる。そして従業員が自主的に自己犠牲を行っているように思えるサービス残業も、メンバーシップ制度に基づく合理的な行動なのであろう。所属組織を守ることが、自己利益につながると考えているわけだ。

2. 大抵のケースでは人は経済学の意味で合理的

経済学の定義で考えれば、大抵のケースでは人は合理的だと言う事になる。

例えば、野川氏が非合理的な例としてあげるブラック企業の存在も合理的だ。特に能力が高くもなく、不況で他に仕事が無いのでブラック企業に勤める方がマシと考えているのであれば、ブラック企業に勤める労働者は合理的になる。また不況を食いつなぐために、もしくは大した経営資源もノウハウも無いのであれば、長期的な視点で評判を良くするメリットは薄い。ブラック企業の経営者も合理的になる。なお、ブラック企業に就職するなら失業状態で仕事を探し続ける方がマシだと考えているのであれば、失業者も合理的と言える。

ブラック企業だけに無知で判断能力の低い経営者と従業員が四苦八苦しているのであろうが、経済学的には非合理的だと言えないわけだ。このように経済学で言う合理的は、知識の深さや判断能力の高さを意味しない。野川氏は「実際の現場では、労働者も使用者も、提示されているような合理的な選択をしない結果となる事態がいくらでも発生します」と指摘しているが、大半の現象は経済学で言う合理的な選択の結果だと見なす事ができる。

3. 倫理観に基づくパターナリズムは否定できない

実際の労働市場では奇妙な現象は多々発生する。退職を申し出た従業員に、恐喝や待ち伏せ行為で翻意を試みる会社もあるようだ。過労やストレスで自殺や失踪をする人もいる。もっと一般的なケースをあげれば、労働法・雇用契約・就業規則を熟知して入社する人間等は少数なはずだ。36協定で言う「労働者の代表」が誰か分からない零細企業など山ほどある。しかし、これらの行為でさえ、彼らの知識や判断能力で取りうる範囲での、彼らの幸福を最大化する合理的な選択肢であったとも言えなくも無い。

このように経済合理的な人々が引き起こす奇妙な現象が、倫理的に正しいとは言い切れない事はある。ゆえに無知で判断能力が劣る経営者と従業員に、パターナリズムから規制や保護を画策することは不自然ではない。これは安藤氏も否定しているわけではなく、野川忍氏と安藤至大氏の議論の大半を占める合理性の議論は、傍から見ている限りは用語定義が不一致なだけに思える。しかし、もっと別の所には、法学者と経済学者の本質的な視点の違いがあるようだ。

4. 現実の経済構造を研究し理解する必要性

合理性の有無の議論が言葉の綾だとしても、現実の経済構造を体系的に研究し理解する必要性に関して、野川氏と安藤氏に労働問題へのアプローチの違いを感じる。

野川氏は経営者は交渉力が強く労働者は弱いので、経営者が労働者を退職ギリギリの状態で酷使するので、労働者を保護すべきだと主張している。経営者と労働者の経済的格差、外部労働市場の欠如、労働者の時間選好率の高さ等がもっともらしく述べられているが、現実には企業間の競争が激しい場合は経済的格差は縮まるし、厳しい立場の若年労働者は外部労働市場は逆に大きく、経営者も人材確保に失敗したり、ストライキに遭遇すれば収益機会を喪失する。野川氏が所与としている状況が現実を現しているかは、議論の余地はある。

ブラック企業の例でも経済学的な分析は必要だ。不況で他に仕事が無いのでブラック企業に勤める労働者は、将来の好景気に転職を目指しているとしても非合理的な存在と言えるのであろうか。労働者の生産性が低いのであれば、判断能力が劣る無知な従業員とは決して言えないはずだ。ブラック企業を規制して潰してしまったら、好景気になる前に労働者は飢え死ぬ可能性がある。それでは規制は無い方がマシだ。

経済構造を見ないで労働者に一方的に有利な法制度を作れば、経営者が雇用量を減らしうる事は良く知られている現象だ。ギリシャでもイタリアでも手厚い労働者保護が問題になっている。労働者保護のつもりで、潜在的労働者を圧迫する事になる。野川氏は「労働法は労働関係をめぐる諸問題をすべて掌握して全的な解決をめざす、などということは前提としていません」と説明しているが、これはある問題を解決するつもりで他の問題を引き起こす事を否定しないと言う事だ。

5. 法学者と経済学者の相互補完関係

法学者が現実を見ていないとは言わない。少なくとも多くの判例を見ているわけで、判断能力が劣る無知な経営者と従業員が、奇妙な事件を引き起こしているのは事実であろう。しかし、全てのケースで労働者を判断能力が劣る無知な存在だと決め付けるのは疑問があるし、対策のつもりの立法が労働者にとってネガティブな効果を持つ可能性もある。経済学者は概ね現実の法運用に詳しくないので、全体としては正しくても細部で抜けた政策提言をしがちだ。そういう意味では、法学者と経済学者は相互補完関係にある。

もちろん法学者と経済学者は相互補完関係にあると思っているからこそ、野川氏と安藤氏でブログのエントリーでディスカッションを行っているのであろう。しかし、労働者が合理的か否かで時間を潰すのはちょっと勿体無い気がする。用語定義の問題はさっさと乗り越えて、もっとディスカッションを深めて欲しい。

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