2019年10月7日月曜日

分析ツールを選び間違えたか、分析ツールが不足している社会学者の悲哀が感じられる『エスノメソドロジーを学ぶ人のために』

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ネット界隈で炎上源のひとつである、あるフェミニスト社会学者が根拠不明の暗黙の前提に無自覚で議論を展開しているのが以前から気になっていた。ジェンダー論とエスノメソドロジーが御専門だが、ジェンダー論の方はお気持ちポエムの粋を出ない混沌とした主張がよく観察されている*1。エスノメソドロジーの方は大丈夫なのであろうか気になって、『エスノメソドロジーを学ぶ人のために』を拝読してみた。複数の著者による独立したエッセイ集だが、どういう使い道があるのか雰囲気を掴むことができ、初学者向けの本として文献ガイドも充実している。

エスノメソドロジーの代表とされる会話分析の論文を拝読した事があるので、エスノメソドロジーがどういうモノかはだいたい想像の範囲だった。社会学者はエスノメソドロジーが何であるか簡潔に説明したがらないのだが、社会生活を営む上で人々がやり取りで従う手続きやその手続きが発生する頻度を整理・分析する研究のことを指している。コミュニケーションのプロトコルの分析。典型例とされる会話分析では、観察から話す単語の傾向や、相手の言葉を遮る頻度などの統計をとった上で、話している人々の社会的立場とつき合わせてあれこれ議論をしているが、仕草や目線なども分析に加えられるようだ。エスノメソドロジー自体は特に問題は無いと言うか、むしろ得られた分析結果をさらに計量分析にかけたら色々と言えそうだなと興味が沸くものだ。

ところで穿った見方で本書を読むと、道具を選び間違えた社会学者の悲哀が感じられる。エスノメソドロジーを駆使してきた少なくない社会学者のモチベーションが、エスノメソドロジーと言う手法にあっていないようだ。差別や排除と言った権力作用を解明し、それらを非難したい社会学者が利用しているようなのだが、エスノメソドロジーで差別や排除の存在やその程度を明らかにするのは困難だ。コミュニケーションする人々の属性の違いや関係が、コミュニケーションのプロトコルにどう影響するかはわかる。例えば、社会的地位が高い人ほど、相手の発言を遮ってよく喋ると言う既存研究がある*2。口がましさも権力作用ではある。しかし、口やかましいと言うだけでは差別にはならないであろう。また、コミュニケーションのプロトコルから属性の違いを判別するのには、情報を外挿しないといけない。エスノメソドロジーでコミュニケーションする人々の属性を推定することは可能かも知れないが、信頼性は低くなる*3。格差や分布の要因を解析することで、差別や排除を定量的に評価できる計量分析の方が有用だ。

エスノメソドロジーを利用してきた社会学者も薄々とこの問題に気づいていはいるが、直視するのに抵抗があるようだ*4。彼らが定性的研究だと言うエスノメソドロジーの代替物、定量的な分析の不可能性があるような話をぽつぽつと混ぜてくる。しかし、社会調査に習熟していないためか、批判が的を射ていない。指標の作成が恣意的になる「専断的測定」の問題を指摘しているのだが、恣意的な指標を用いている研究を批判すればよいだけだし、社会調査の調査項目で回答者ごとに質問の理解に大きな差が出てしまった(pp.253–260)のは、質問文の作り方が悪いからだ*5。他にも、自然科学に準じた、実験と観察を通して仮説を検証する実証主義的モデルでは、主体と主体の相互関係が分析できないような事が書いてある(pp.63–64)。社会学ではゲーム理論は知られていないのか。「『イギリスの戦い』視聴実験」をpp.244–245で紹介した後、何の理由も説明されずに「原因を確立する直接実験という自然科学の方法は,社会科学にとっては不可能だ」(p.246)と断定されていて困惑するのだが、これも定量的な分析を否定したい気持ちが書かせる文なのであろう。仮に定量的分析に指摘されるような問題があったとしても、定性的研究でそれらの問題が解決できることを示さないと、エスノメソドロジーの宣伝にはならない事にも気づいて欲しかった。

そもそも定量的分析と定性的分析を対立概念として捉えて議論する必要、無いと思われる。インタビューで口伝を集めるような定性的な研究がダメと言うことはないであろうし、大体のケースでは補完的な関係になる。計量分析を行っているペーパーでも、定性的分析を参照して解釈している事は多い。定性的分析だけで一般化した結論を主張するからおかしい事になるだけであって、定性的分析の存在価値が無いというわけでもないし、昔より低くなったと言うことでも無いであろう。また、エスノメソドロジーは必ずしも定性的分析にとどまらないといけないとは限らない。会話分析にしろ形式を揃えて調査することで定量化可能にしている側面もあり、例えば多数の会話分析を集めて会話を遮る頻度を従属変数、性別や社会的地位を説明変数に回帰分析を行えば、エスノメソドロジーも定量的な分析になる。

上の話は重箱の隅を取り上げているし、社会調査の調査員と回答者のやり取りを会話分析で分析した研究の紹介の一部分であったりもするのだが*6、エスノメソドロジーは定量的な分析を前に存在意義を問われることが多いことがひしひしと感じられる。何かと居心地が悪いことが多いのであろう。しかし、それはモチベーションにあった分析ツールを揃えていない研究者の問題であって、他人が使っている分析ツールを悪く言ってもはじまらない。(本書の著者たちがそうであるかは定かではないが)計量分析をしている人に自分の研究を「その分析ツールでは、あなたの言いたいことは示せない」などと言われて意気消沈したりした経験があれば、計量分析を悪く言いたくなるのが人情だと思うが。

*1関連記事:ジェンダー論をやっている社会学者は“被害者”

*2林(1995)「会話のマネ-ジメントにみられる性差--その1」甲南女子大学研究紀要,pp.151–178

*3あるグループの社会的地位のコミュニケーションへの影響が、他のグループでも同様かは定かではない。

*4もっとも最近のエスノメソドロジー研究はテクニカルに相互行為分析を行っており、権力作用、社会問題を見い出して非難するような研究は少ないようだ(p.240)。なお、合理性を示すにのに使えると思われているようなのだが、コミュニケーションが理路整然としたプロトコルに沿っていることが示せても、プロトコルもしくは参加者の振る舞いが何らかの目的に対して合理的かは、目的を明らかにしないと評価できない。例えば、イギリス人風の回りくどい言い回しがイギリス人間での意思疎通に役立つと意味で合理性があるように見えても、冗長性の少なさや偶発的にアメリカ人とやりとりする可能性を考えれば合理的とは言えないであろう。

*5社会調査では各種バイアスを抑制するために多くの配慮がされており、それらを考慮して批判をすべきである(関連記事:社会調査でセンシティブな質問に正直に答えてもらう方法世論調査とは何だろうか ─ 斜めに見るとバイアスに悩まされるもの

*6「4 サーベイインタビューの批判的検討」(pp.253–260)で、調査員によるバイアスを抑制するために調査員と回答者のやり取りを抑制すると、回答者が質問や想定されている分類(e.g. ワインはアルコール飲料)を正しく理解できず回答者間にばらつきが出て不正確になるのが会話分析で示された研究が紹介されていた。

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