2019年7月13日土曜日

『答えのない世界に立ち向かう哲学講座――AI・バイオサイエンス・資本主義の未来』

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ネット界隈で人工知能や生命科学に関する哲学的議論はよく見かける気がするのだが、過去の倫理的議論との整合性まで踏み込んだ哲学者の議論まで紹介されていることは少ない。紹介されている場合でも、妙に断片的な引用になっていたりして要点を抑えていない感じもある。軽い読み物で何か紹介が無いかなと思っていたら、『答えのない世界に立ち向かう哲学講座――AI・バイオサイエンス・資本主義の未来』と言うのがよさげであったので拝読してみた。

雑誌『WIRED』が開いたビジネスパーソン向けの哲学講座を開いたときの様子をまとめた本で、講師が御題に関して一通りレクチャーしたあとに、参加者がディスカッションをし、講師が著名哲学者の言説に紐付けする内容になっている。人工知能と生命科学に関しては哲学もしくは倫理学プロパーの講師がやっているだけに、高名な哲学者の議論が手短に紹介されていて興味深い一方、講師役の人の意見を押し付けるものとはなっていない。著者/編者の岡本裕一朗氏の主戦場?の弁証法がさらっと紹介されていたり、ヒステリックではない優生学の説明があったり、何種類もののバリエーションのトロッコ問題が出てきたり、講師の受けの広さと言うか知識の幅の広さが分かるし、なかなか楽しい。資本主義のところ以外は。

社会哲学者*1の稲葉振一郎氏の資本主義論がいけないと言うわけではないし、資本主義=近代社会と言うぶっちゃけた議論にも説得力が無いわけでもないのだが*2、紹介されている議論の幅が狭いように感じる。著名経済学者のピケティの議論を紹介するのはよいのだけれども、ピケティの実証分析の粗*3を紹介していないし、人工知能など技術進歩の影響の議論は雑である。人工知能の所有から莫大な利益が得られる社会を夢想しているわけだが、人工知能のようなソフトウェア技術が排他的独占力を持つとは限らないし、誰でも利用できるような安いモノになってしまったら人工知能技術への分配は無くなる*4。人工知能を独占する資本家が富を集積するというよりは、人工知能と付き合っていけるタイプの技能を持つ労働者が少数なので、賃金の二極化が悪化する*5可能性の方が心配されているのでは無いであろうか。

そもそも資本主義に関する議論、ビジネスマンからのニーズがあるのか謎な気が*6。稲葉氏が議論しているのも、昔、習ったマルクス経済学との決着をつけるためであって、時事的な問題からモチベーションが沸いてきたわけではないと思っているのだが、違うのであろうか。別に稲葉氏がプログラムを考えたわけではないと思うが、世代的隔絶を強く感じる話である。

*1本にあわせたのか社会学者ではなくなっていた。

*2本文中でも指摘されているが、近代社会とは何かと言う話になるので、そうよい定義ではない。

*3関連記事:「21世紀の資本」は住宅だった

*4近年流行しているディープラーニングを含む機械学習技術はアルゴリズムはもちろん、ライブラリやミドルウェアなども公開されており、コモディティ化が進んでいる。分析対象のデータセットの公開は広く行われているわけではないが、データセットの量に対して収穫逓増するようなものではなく、また社会や技術の変化などでデータセットも古くなるので、先行者が強い排他的独占力を持つとは限らない。

*5近年のスキル依存のある技術変化(SBTC)の影響が、ホワイトカラーの一部をブルーカラーに追いやり、賃金の二極化をもらたしたと言うような議論がある(Acemoglu and Autor (2011))。

*6マイケル・サンデルは何でも市場化すればよいというわけではないと主張しているが、現在の市場システム自体が何であるかは特に問題にしていないと思う(関連記事:マイケル・サンデルの経済学批判)。

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