2015年10月4日日曜日

シリア情勢を理解するために読んでおくべき本

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「アラブの春」から混迷を続けているシリア情勢だが、その見通しの悪さに困惑している人は多いと思う。政府軍と反政府軍による内戦であれば分かりやすいのだが、アサド政権、ムスリム同胞団、シリア自由軍、ヌスラ戦線(アル・カイダ)、イスラム国(ISIL)、ヒズボラと参加勢力が多く、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルと言った中東の国々の他、米国やロシアが関わってくるからだ。かなり複雑なゲームが展開されている。しかし、そもそもアサド政権がどういうモノなのか良く知らない。そういう事で『シリア アサド政権の40年史』を拝読してみた。著者の国枝昌樹氏は外交官で、シリア大使を勤めた人だ。

1. アサド政権は独裁色を弱めつつあった

メッセージ性の強い本である。元シリア大使の著者は、バッシャール・アサドの漸進的な改革を全く評価せず、虚偽や憶測を交えてアサド政権を非難し、かつムスリム同胞団など反体制派の情報に偏るメディア、欧米諸国、国際機関に批判的だ。大半の人は、2011年までの漸進的な改革を知らず、アサド政権への非難に露骨な虚偽が混じっている事を知らないであろうが。

バッシャール・アサドは二代目で、父、ハーフィズ・アサドの急死に伴い政権を継承した。これだけ聞くと北朝鮮だが、北朝鮮のように路線は維持されていたとは言えないようだ。父の時代には情報治安当局であるムハバラートが厳しく市民を監視していたが、子の時代になって活動が抑制的になっていた(p.84)。父の時代は急進的社会主義政策を取っていたが、子の時代になって市場主義経済に移行しようとしていた。政権中枢をアサド家が信仰するイスラム教アラウィ派が占めていたのも、子のバッシャール・アサド時代に変化があり、スンナ派やキリスト教徒の活用が拡大されていた(p.88)。「アラブの春」の混乱により、元に戻った面が大半のようだが。

反体制派の流す情報に虚偽や憶測が含まれる事は、各所に具体例を挙げて詳しく批判されている。そのためか、中東屈指の衛星テレビ局アルジャジーラから、記者の離職が続いているらしい。メディアだけではなく、国連人権問題担当高等弁務官事務所の報告書も、調査団は独自に内容を確認しておらず、シリア国内のNGOをソースとして虚偽や憶測を並べる事になっている(p.139)。憲法をしっかり読んでおらず、2003年から2010年までの経済改革は無視され、無国籍クルド人以外にシリア国籍クルド人がいることが分かっていなかった。米国のブッシュ政権やオバマ政権も、反体制派の流す情報にそのまま乗ってしまっているようだ。

特にブッシュ政権の上層部は、そもそも事実関係に興味が無かったようだ。シリアとイラクの国境が素通りできる事がイラクでのテロを促進していると言う批判があり、シリアは国境管理をする協定を米国と結んだ。現地米軍司令官や在ダマスカス外交団がシリアが協定通り国境管理をしていることを確認したのにも関わらず、ブッシュ政権はシリア批判を続けていたそうだ(p.214)。この大統領には色々と伝説があるので、悪意があったのか、頭が悪かったのかは分からないが。

アサド政権を擁護しすぎで、反体制派を批判しすぎな気もするが、2015年時点でアサド政権が存続している事は本書の見方が正しかったことを示している。「アラブの春」で反体制デモをしていた人々は報道されていたよりも圧倒的に少ない人数で、クリティカル・マスを超えてはいなかったそうだ(p.245)。2012年にこう書いてあったわけだが、2015年時点でアサド政権が倒れていないので著者の読みは概ね当たっている事になる。当時の反体制派の自由シリア軍の方が、先に勢力を失ってしまった。

2.「アラブの春」から内戦に至るまで

もともとシリアにあった対立軸は、アサド大統領の属するバース党とムスリム同胞団のそれだった。バース党は汎アラブ主義を掲げる社会主義政党で、世俗主義でイスラム色が薄く、少数派(つまり、アラウィ派)や貧困層の支持があった。ムスリム同胞団はイスラム色が強い政治団体だが、社会主義政策に反対し、少数派と貧困層の台頭に違和感を感じる富裕層が支援を行った。ムスリム同胞団の支持層はハマ市の大地主(p.34)や、アレッポの実業家や商人である(p.35)。なお、フランス委任統治時代に分割されていたせいでダマスカスとアレッポにもわだかまりがあるそうだ。本書には書かれていなかったが、情報治安当局ムハバラートも、ムスリム同胞団対策なのであろう。

本書に書かれていることから、2011年4月の「アラブの春」で何が起きたか想像してみよう。隙あれば政権転覆を狙っていたムスリム同胞団の動きが活発化した。しかし治安当局の強硬姿勢や、国民評議会の発足、人権問題の改善などの懐柔策が功を奏したのか、デモの参加者は下降していった(p.38)。しかし、トルコ、サウジアラビア、カタールの干渉が始まり、米国もそうだがアサド政権の退陣を要求し始めた。反体制派の自由シリア軍は、トルコ領内を本拠地として編成され、シリアは内戦に突入する。要するに国内でデモが拡大したのではなく、外国からの支援を受けた武装集団がアサド政権に軍事的に挑戦を始めたわけだ。

3. アサド政権の存続を支援した方が良い可能性

ヒズボラやハマスを支援して来たので、化学兵器保有や核兵器開発疑惑があるので、アサド政権の存在そのものが反イスラエル、反欧米に思えるのかも知れないが、体制打破したからと言って何かが改善するとは限らない。条件をつけて体制を維持させた方が、欧米諸国には利益になることもある。少なくとも難民の発生は抑制できるであろう。

父のハーフィズ・アサドはイスラエルとの和平交渉の仲介役だった当時の米国の国務長官キッシンジャーに騙された事がある(p.166)、つまり話し合いに応じていたし、子のバッシャール・アサドも高圧的な人物ではないようだ。シリア-イラクの国境封鎖問題でも米国に配慮していたし、妥協を模索できない相手とは言えない。民主化や人権保護も、バッシャール・アサド自身がそれを求めていた(p.195)わけだし、本書が明確に主張しているわけではないが、漸進的なモノであれば受け入れる可能性はある。

化学兵器は2013年に廃棄に応じた。2007年のイスラエル空軍のアル・キバル村への爆撃で明らかになったように思える核兵器開発疑惑も、米国やイスラエルが主張する黒鉛減速炉型の原子炉を使った核開発の痕跡は、その後のIAEAの査察でも出てきていない(p.225)。シリアが隠蔽工作を行った可能性もあるが、イラクの大量破壊兵器保有を主張していた米国だけに、勘違いをしていた可能性も少なくない。軍事的危険に晒されている中東では、その軍備を明らかにしない事で他国からの攻撃を防ごうとする所があり、シリアもその例かも知れない。

4. 欧米が真面目にシリアの将来を考えるとき

本書が出てから3年が経った。アサド政権が未だに存在している一方、ISILがシリアへの進出を果たす一方、アル・カイダ系のヌスラ戦線が出現して弱体化したシリア自由軍を取り入れている*1。シリアから出た難民とそれに乗じる移民が欧州に押しかけ、深刻な問題となりつつある。

アサド政権、アル・カイダ、ISILの三つ巴になったわけだが、どこを支援すべきなのであろうか。アル・カイダ、ISILはシリア国内に支持基盤を持たない*2。トルコ、サウジアラビア、カタール、米国は反アサドと言う姿勢を堅持しているが、ロシアは直接軍事介入でアサド政権の支援を開始した。

何を目標に置くかによるが、難民の発生を抑制させ、欧米風の人権概念を普及させるには、アサド政権がもっとも可能性がある支援先に思える。アサドとその周辺が清廉潔癖とは言えないだろうが、一番マシなのを選ぶべきであろう。潰そうとした相手と組むのは屈辱かも知れないが、真面目にシリアの将来を考えるべきであろう。

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