2014年3月14日金曜日

あるマルクス経済学者のプロパガンダ(5)

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マルクス経済学者の松尾匡氏の連載5回目『ゲーム理論による制度分析と「予想」』が公開されていた。要約すると、ゲーム理論を使った制度分析から経路依存性があることが議論されており、そこでは現在の状態は唯一の均衡点とは限らず多数派と同様の行動をとる事が有利になる戦略的補完から偶発的に決まったものである可能性があり、その場合は人々の予想を切り替えることで別の均衡に移ることができると言うものだ。ただし、構成上の問題点が幾つかある。

1. ワルラス均衡の条件を説明していない

良く読むとミクロ経済学の基本的な文脈における均衡条件を無視している。

「合理的期待」や「完全予見」──にあるからといって、必ずしもその状態のもとで市場の売り買いがみな均衡するとは限らない

端的に言えば予想形成ではなくて、集計的超過需要関数の連続性とワルラス法則が競争均衡の十分条件を与える。そういう意味で、この文は意図が良く分からない。

予想が外れたら在庫が余ったりすると思う人もいるであろうが、確かヒックスの「価値と資本」あたりに、予想が外れても価格調整されて需給は一致すると言う議論がある。

政策的には需給均衡にあるかと言うより、その均衡がパレート改善の余地が無いのかが問題になるわけで、松尾氏も今回第5回の後半ではそういう議論をしている。安易に不均衡に言及しだすと文の流れがおかしい事になる。もしかしたらナッシュ均衡と競争均衡では概念が違うから問題ないのかも知れないが、そういう議論はされていない。

2. リファインメントされたら複数ある均衡を移る話にならないかも

ゼルテンの震える手や、マイヤーソンのプロパー均衡などナッシュ均衡の精緻化について紹介されており、複数均衡が排除できるようになったことが紹介されている。しかし、複数均衡が排除されれば均衡が一意になる場合が増すわけで、後半の経路依存した均衡、つまり雇用慣行や男女機会の差の議論を破壊してしまう可能性が残る。つまり、前半のリファインメントの紹介と、後半の経路依存した均衡との関係が良く分からない。

3. まとめ ─ 均衡しているのか、複数均衡あるのか

忙しいからだと思うが、前半と後半の議論が少し分離している。上述の部分は、整理が必要であろう。人々の予想を切り替えることで均衡点を移れると言う後半につなぐには、まずは世の中は均衡していると言う仮定にしないといけないし、リファインメントでも戦略的補間が理由の複数均衡は排除できないことを主張しないといけない*1

他に細部をつつくとゲーム理論を使っていない制度分析(e.g. Diamond and Dybvig(1983))や複数均衡モデルがある事が忘却されている気がする(関連記事:児童労働について経済学的に考える)のと、フォン=ノイマンの主要業績はヒルペルト空間の作用素に関する研究であることが書かれてい無い事が気になった。嗚呼、瑣末的。

*1松尾氏の議論が間違っていると言うよりは、文書構成上、混乱が見られる。むしろエッセイの全体から見ると、ナッシュ均衡のリファインメントの紹介は無くても良い。

1 コメント:

松尾匡 さんのコメント...

おはようございます。今回も早速ありがとうございます。

青木先生たちの手法は基本的に進化論でして、私も基本的にそれを受け入れています。
進化論について踏み込むとまた長くなるので、どうしても要るところ最小限触れるに抑えましたので、一部の論点だけで進化論が使われているような印象になってしまったかもしれませんが、本来だいたいの議論は進化論が背景にあると思います。
「進化的に安定な均衡」概念は、ナッシュ均衡精緻化のひとつとして出されたものと思います。また、「進化的に安定な均衡」が複数あるとき、結局現実にひとつに絞られるのは、その均衡の吸引圏に初期値があったからだと理由付けすることも、精緻化の解答のひとつだと思います。

まあそのへん説明をはぶきましたけど、まっさらなゲームではアプリオリ・論理的に均衡を一つにしぼれないけど、歴史的に所与の人々の行動予想があったなら、それにしばられた制度均衡が決まるということで、ナッシュ均衡の精緻化の話になっていると読者は理解するものと思って書きました。
まあそのへんとりにくいなら精緻化の話に触れないのも一つの方法かもしれませんが。
ともかく本にするときの改善のご提案と受け取っておきます。

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