2023年1月22日日曜日

表現物が罪を犯すのではなく、人が罪を犯すと言う話からは、表現規制不要とは言えませんよ

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女児10人に性的暴行を行なった疑いで逮捕された被疑者がマンガに影響されたと供述したことに対して、表現の自由戦士の青識亜論氏が、表現物に影響を受けて人が罪を犯したとして、表現物やクリエイターに責任は問えないと言う話をし出した*1。法的責任は問えないと思うが、それは悪影響を抑制するために表現規制をしない理由にはならないので指摘しておきたい。

全米ライフル協会の銃規制反対のキャッチコピー"Guns don't kill people, people kill people(拙訳:銃が人を殺すのではない,人が人を殺すんだ)"を思い出して欲しいのだが、第一義的責任の有無で規制の是非を考えると、なかなか受け入れ難い結論が出てくる。銃と表現物は違うと思うかも知れないが、自殺報道に影響を受けて自殺する人が増えるので、自殺報道は抑制的にしろとかなんとか言う話もある*2。銃と自殺報道、銃器メーカーと報道機関に法的責任は無いであろうが、規制が社会厚生を改善するのであれば、帰結主義者から見て規制をしない理由にはならない。そして、帰結を考えずに物事の是非を定められる人は少数だ。

表現物の害悪が銃ほど大きいとは言い難いし、どのような効果を持つかははっきりしない事が多い。議論のきっかけの事件の被疑者は、マンガの影響で女児に性的興味を持つようになったのではなく、マンガに習った手順で犯行に及んだと供述している。この犯人に関してはマンガがなくても犯行に及んだ蓋然性が高い。仮にある種のマンガが少数の男性を狂気に駆り立てる効果があるとしても、マンガで満足してしまう賢者タイム効果や、小児性犯罪の存在を喚起することで、女児の家族や地域社会の防犯意識を高める効果もあるはずなので、社会全体で見て犯罪を増やしているかは自明ではない。ドイツのブロードバンド普及は児童ポルノの不法所持を増やしたが、小児性犯罪は減らしたと言う研究もある*3。そして、マンガの自由な創作は娯楽として人々の厚生に貢献している面もある。

事件を受けてマンガを規制すべきとは思わないが、規制の是非は社会厚生の多寡で測らないといけない。何かが社会厚生を悪化させるのか、それとも改善するのかを検討するのには、それなり高度な専門知が必要で、なかなか楽には行なえない。しかし、だからと言ってこの手間暇かかる作業を回避して、主張を押し付けようとするのは真摯な態度ではない。ポリコレ棒を振り回しているリベラルやフェミニストと同じやり口になってしまう。

*1論点整理:表現物の「影響」とは何か?|青識亜論|note

本文では論点③「表現物と表現者は読者の行為に「責任」を問われるべきか」の部分について批判したが、論点①も小児性犯罪のあるマンガの是非の話を、それ以外のジャンルのマンガや小説を含めた創作物全体の是非の話にすりかえる詭弁になっている。論点②も表現規制を支持しかねない研究は言及を避けている気が。

*2メディア関係者の方へ|自殺対策|厚生労働省

*3関連記事:ドイツのブロードバンド普及は児童ポルノの不法所持を増やしたが、小児性犯罪は減らした論文

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