2021年12月24日金曜日

古代から中世の日本史がよく分かるようになる『荘園 — 墾田永年私財法から応仁の乱まで』

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日本史の教科書は経済構造の説明が薄いので、ずっと奈良~平安~院政~鎌倉~室町時代の社会の変遷と言うか繋がりが謎だった。奈良時代までいたはずの豪族の皆様は平安時代以後、音沙汰がなく霧散してしまった気がするし、皇室や貴族の皆様は鎌倉時代以後は霞を食べて生きていた気がしてくる。支配層や合戦の記述は切り口が悪く、当時の社会が見えてこない。

荘園 — 墾田永年私財法から応仁の乱まで』は、古代から中世の生産活動の主要な場である荘園を中心に経済構造の変遷を説明した本で、まさに私が読みたかった本だった。律令制の口分田と国衙領の違いや、初期荘園と免田型荘園と領域型荘園の違いを、税と報酬、人事/組織、生産資本/生産知識の保有者と言った点を抑えつつガバナンスにつなげて説明してくれるので、読んでいて連想するのは組織の経済学。領域型荘園と言う支配体制が今でも残るそれまでより大規模な灌漑工事をもたらしたこと、農耕技術や農具や種籾や家畜といった生産資本を百姓が蓄積したことで荘園と言う支配体制が揺らいでいったことは、数理モデルで説明できそうである。

日本史研究者には常識的なことが気がするのだが、知らない事は多かった。日本でも、気候変動と疫病が制度変化の契機になるか、制度変化を加速していた。気候変動で耕作可能な土地が変化して、古墳などを抱えていた地方豪族が没落した話から興味深い。藤原道長のものを含めて免田型荘園が荘園整理令で存続が難しかったと言うのは意外というか、望月だから時間とともに欠けるのか。国衙領は荘園に侵蝕されっぱなしでなかったので、朝廷が存続できていた謎が解ける*1。延久の荘園整理令で天皇の権威を知る。荘園や国衙領の徴税機能が残っていたことで、鎌倉幕府と朝廷の関係の印象が変わる。坊主が行政能力が高く低モラルだったのは・・・そんなに意外でもないかも知れない。皇室や貴族の皆様が貧乏になったのは室町時代なのは意外ではなかったが、惣村の発生と発達が影響しているのは興味深かった。開発が進むにつれて領域型荘園同士の利害対立が激しくなっていくのは、その後の戦国時代を考えると当然か。

日本史の教科書がだいぶ補完されるというか、古代から中世の経済構造が見えてくるので、何が起きたのか分かった気になれる。人名をほとんど覚えなくても読み進められるので、最近読んだ日本史の本の中では読みやすい。各所で技術進歩に言及されており、第六章「中世荘園の世界」で何を生産していたか詳しく説明されるので、生産セクターが記述されないと歴史の話に実感がわかない門外漢には有難い。今の日本史の教科書は未確認だが、昔の日本史の時間にサイドテキストで本書があったらなと思う本。昔の日本史の教科書しか知らない人は、きっと面白く読める。ところで本文の最後は、室町時代につくられ今も残る用水の観光案内であった。

*1行政機構が機能していなければ予算も要らない気がするが、刀伊の入寇でも対処をしている。

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