2016年1月20日水曜日

社会学者とその参照論文の「出生率をめぐるパズル」への回答の違い

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社会学者の筒井淳也氏の『出生率をめぐるパズルと、それに対する「答え」』と言うエントリーが流れてきた。国際比較をすると女性労働参加率と出生率は逆相関する傾向があったのだが、1990年ぐらいからそれが変化し順相関になった現象をパズルとして捉えているのだが、この理由の説明の細部において、筒井氏が言及した論文と、筒井氏の説明に食い違いがあるので指摘したい。細部とは言え、政治的には重要なポイントだと思う。

1. 充実した保育や育児休業などの影響

参照している論文*1は、人口統計学者と経済学者が書いたもので、「出生率をめぐるパズル」に対して、個別の国ではこの逆相関は維持されており、女性労働参加率がもともと高い国と低い国ではその効果量に差があるため、国際的な女性労働参加率の高まりとともに、国際比較の結果が変わった事を指摘し、さらに効果量の差が(1)女性失業率、(2)初産平均年齢、(3)扶養控除の大きさ*2に比例する事を指摘している。なお、女性労働参加率が低い国は、(a)強い家族の価値や(b)子育ては妻の責任と言う社会的規範があると説明している*3が、それが根本的な原因だとは書いていない。

さて、筒井氏のエントリーを読むと、女性の労働参加率が高い国で、女性労働参加率が出生率に与えるマイナス効果が低い事を、「充実した保育や育児休業などの両立支援プログラムがあるために、女性が雇用労働に従事することのマイナス効果が緩和されたことの現れ」と解釈している。最初に言及した論文には、そんな事は書いていない。むしろ、保育が委託できる可能性は重要だと言う参考文献の主張は紹介されているが、図15で就学前教育の入園率は出生率に影響していない事が示されている。論文の図表に筒井氏が独自解釈を付け加えたわけだが、その解釈の根拠になるような研究には言及されていない

また、両立支援プログラムは、企業負担を増加させることから女性失業率を引き上げ、女性の社会進出を促す事から初産平均年齢を引き上げる可能性があるので、筒井氏と参照している論文の議論には大きな溝があるように思える。

2.「性別分業」は真の要因か?

筒井氏は「性別分業」が隠れた真の要因であると主張する。しかし、参照している論文には『そのせいで女性が「仕事か家庭か」の選択に直面してしまい、結果的に少子化を解決できない』とは説明されていない。むしろ、そのような仮説(the role incompatibility hypothesis)に基づく変数(労働時間、女性のパートタイマー率、就学前教育の入園率)のトレンドは、出生率のトレンドと関係していないと書かれている。女性労働参加率別の水準や効果量の差でも、関係は観察されていない。

参照論文の議論を離れるが、特殊出生率が高い国でもパートタイム労働者の男女比を確認すると「性別分業」が行われている事はわかる*4し、英国とオランダは日本よりも男女差が大きい。また、出生率が高い先進国は未婚出産の比率が高い気がするのだが*5が、母子家庭への公的サポートや結婚後の出産育児を要求する社会的規範の差には言及しなくて良いのであろうか。なお参照論文では、「女性労働参加率は家族経済学における各国間の差異を決定する指標の集合の一つの側面を表しているに過ぎない」*6と、他の要因や他の説明は排除していない。

3. 米国の子育て支援が充実?

筒井氏の議論と氏が参照している論文の差異について指摘してきたが、他にも問題がある。「両立支援プログラムの実施(国のものでも会社のものでも)がアメリカやスウェーデンに比べて遅れてしまった」とあるのだが、アメリカで実施しているプログラムとは具体的にどのようなものであろうか。『アメリカの子育て支援 ― 高い出生率と限定的な家族政策 ―』を確認する限り、日本の公的支援の方がまだマシそうである。

4. 学んだから稼ぎたいわけではなく、稼ぎたいから学ぶ

『「(かつてのように)女性には男性と同等の教育を与えなくても良い」と考えている人は、いまは少なくなっている』『教育を通じて身に付けたスキルで女性が「稼ぎたい」と考えることをとどめることはできません』とあるが、因果関係が逆では無いであろうか。つまり、将来のキャリアのために進学する人々が多い実態があり、将来が閉ざされれば進学意欲も減退するであろう。理学部、工学部に進学する女生徒が少ない事が問題として認識されているが、これは結婚などでキャリアが中断される可能性に備えていると解釈する事も出来る。なお、女性の社会進出を倫理学的に正当化することはそう難しくないと思うから、他のアプローチでの説明を期待したい。たぶんピーター・シンガーが『実践の倫理』で既にしている。

5. 主張にあったソースを提示して欲しい

ドイツとフランスを比較してフランスの出生率が高いのは、フランスの方が保育サービスが充実しており、また所定労働時間が短いからであると言う議論はある*7ので、筒井氏の主張が間違いだとは言えない。しかし、仮にでも学者が物事を主張するのであるから根拠との対応関係は明確にして欲しい。筒井氏も普段は教え子に出典を明記するように、出典と自己の主張の対応関係を明確にするように指導しているはず。ブログのエントリーを書くのに論文ほどの時間を割けとは言わないが、引用を一つ二つ増やすぐらいの手間を惜しむ事も無いはずだ。

*1Engelhardt and Prskawetz (2004) "On the Changing Correlation Between Fertility and Female Employment over Space and Time," European Journal of Population, Vol.20(1), pp.35--62

*2Share of family allowances for first child on the monthly male wageの下手な訳。

*34. Discussionに"low FLP countries which are more likely to adhere strong family values and social norms that still see women as the main provider of childrearing activities"とある。

*4パートタイム社会オランダ」の図表1を参照。

*5図録▽婚外子(非嫡出子)の割合(国際比較)』を参照。

*64. Discussionに"female labour force participation represents only one dimension in a set of indicators determining cross-country differences in the economics of the family"とある。

*7内閣府経済社会総合研究所『フランスとドイツの家庭生活調査』

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