2015年3月6日金曜日

あるマルクス経済学者のプロパガンダ(14)(15) ─ 非パレート最適状態は、自由の抑圧?

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マルクス経済学者の松尾匡氏の連載『リスク・責任・決定、そして自由!』の新記事『流動的人間関係原理からみた課税の正当化原理――左翼リバタリアンの理屈』と『事前的ルールを選ぶ自由──リバタリアンはハイエクを越えよ』が出ていた。 リバタリアンの立場から社会保障や分配のための課税が正当化されうるのかを議論し、さらに「自由」を保障するために景気対策などの積極的な経済政策が肯定されると主張しているのだが、人権が意識されていないのでおかしい事になっている。

1. 非パレート最適状態は、自由の抑圧なのか?

例として残業ゲームが挙げられている。上司から残業は強制されてはいないが、同僚より先に帰ると立場が悪くなるので、誰もが退社できずに残業をする均衡が実現される。本当は全員揃って帰宅する方が望ましい非パレート最適状態だ*1。松尾氏は、この残業を行なうと言う意思決定を自由の抑圧と主張する。他者の行動により、立場の悪化なく退社する可能性が奪われているからだ。陥りがちだが、おかしい議論になっている。

2. 非権利の選択肢が消えても、抑圧ではない

ある人間の意思決定が、他の人に影響を与えることは自然な事だ。男性が求婚し、女性が断ったとしよう。男性の異性を選ぶ自由が、女性の異性を選ぶ自由に阻害された。松尾氏の論法では『人ならぬ「自然」が邪魔しているのではない』のであれば抑圧となるので、男性の自由は女性に抑圧されたことになる。しかし、一般に自由が抑圧されたとは見なさない。好きな人と結婚する権利は、誰かと結婚しない権利に劣後するからだ。

3. 残業ゲームではパレート最適になる権利はない

残業ゲームに戻ろう。それぞれの従業員は残業もしくは退社する権利を持つ。立場の悪化なく退社する権利は、同僚が残業する権利に劣後する。全員同時に改善の余地が無いパレート最適でないとしても、そもそもパレート最適点を実現する権利を持っていないので、自由の抑圧とは言えない。残業と退社と言う与えられた権利は残されており、その中で残業を選好したに過ぎない。

4. 損得に応じた選好は、自由意志

損得に反応して内的メカニズムが選好を定めることを、自由意志と呼びたい*2。美味しそうな肉まんを購入したとして、買わない自由を店に抑圧されたとは言わない。この定義では銃や刃物で脅されて意志決定をしても自由意志になるので、人間に自由意志などないと言う立場をとる人も出てくるが、違法な、つまり権利を逸脱した誘導の影響は例外にすれば辻褄はあう。自由意志であれば、強制ではない。ゲームの均衡点は、強制されたものではない。

5. 全員のために個人の自由を抑制するのは、自由ではない

自由に干渉してパレート最適を実現すべきと言う議論はあり得る。J.S.ミル『自由論』に「ある個人の行為が・・・他人の幸福に対する当然な配慮を欠いている、という場合はありうる・・・このような行為に干渉することによって一般の福祉が促進せられるか否かという問題が、広く論議の対象となる」とある。ただし、権利が確保されただけで、自由が増したわけではない。選択肢が減っただけで新たな選択肢は増えていないので、「積極的自由」が増したとも言い難いであろう。

6. 人権なくして、あるべき自由の範囲は分からない

『独裁者に逆らいたいのに逆らえないのが「自由が奪われている」と言える』のは、人々に為政者を選ぶ自由(公民権)があると思われているから。しかし、雇われる権利があるとは一般に考えられていないので、職が欲しいのに得られない不況下の失業者は「自由が奪われている」とは言わない。そもそも、この二例の「自由」は「権利」に置き換えた方が自然だ。また、人身御供、身分制度、奴隷制度などが排除されたのは、人権概念が変わったから。人権なくして、あるべき自由の範囲は分からない。

松尾氏も引用する「自由論」でも権利に関する記述は多いのだが、松尾氏のエッセイでは自己所有権以外の権利に関する議論がほとんど無い。アイザイア・バーリンの議論を踏襲して「権利」ではなく「意図」で自由の範囲を捉えようとしただからであろうけれども。しかし自己所有権以外の価値を持ち込むことを否定したら、「積極的自由」を保証すべき理由も無くなってしまう。

顕示選好の妥当性の話についても気になったのだが、次回に続くらしいので今回は言及しないことにした。

*1非パレート最適状態であれば、囚人のジレンマのような一意な均衡でも、両性の争いのように複数均衡のうちの一つでも続く議論には関係ない。

*2関連記事:選好の奴隷は自由意志を持つか? ─ 戸田山和久『哲学入門』のある感想

2 コメント:

松尾匡 さんのコメント...

あいかわらず立て込んでいますので、とりあえず一点。

「残業ゲーム」は囚人のジレンマではありませんよ。
他のみんなが残業しないならば、自分はよろこんで残業しない方を選ぶ選好を前提しています。
(囚人のジレンマならば、他のみんなが残業しない場合にも、自分だけでも残業する方を選んだ方がトクになる。)

残業で例が悪ければ、「誰一人やりたい人がいないムラの行事」か何かでもいいです。誰もやりたくないのに、みんながやっているから各自参加せざるを得ないみたいな。

拙文で例にあげているのは、すべてこのような構造のゲームのつもりです。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん
> 「残業ゲーム」は囚人のジレンマではありませんよ。
> (囚人のジレンマならば、他のみんなが残業しない場合にも、自分だけでも残業する方を選んだ方がトクになる。)

囚人のジレンマを非パレート最適状態に修正しておきました。

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