2015年10月19日月曜日

税制に一家言持ちたい左派は読んでおくべき「税と正義」

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ネット界隈には左翼思想の人々は多く、再分配を強化するように税制を変えようと主張している。また、再分配的な政策を否定する“新自由主義者”を熱心に批判している。しかし、その議論は往々にして直感に基づく素朴なもので、実証的な根拠に欠くだけではなく、倫理的にも脆弱なものが少なくない。しかし、きっちりした議論を展開したくても、自分で考えると辻褄が合わなくなってくる。だから、他人の議論を借りてくるのがお手軽だ。全部がそうではないが、そういう用途で『税と正義』は参考にできる本になっているので、左派の皆様にお勧めしたい。

1. 大雑把な着眼点と主張

著者二名はニューヨーク大学で教鞭を取る倫理学者で、財政学者のレクチャーを参考にしつつ本書を書き上げた。思い込みによる新古典派経済学批判は無いし、逆に理論モデルと実証研究が示唆することに差異があることも把握している。旧態依然としたマルクス主義哲学やマルクス経済学に依拠しているわけではないので違和感がある左翼の人も多いかも知れないが、現代的な感覚を身につけることも重要だ。

本書が基本的に主張するな事は、そう長々としたものではない。帰結主義的に人々の給付を含めた課税後の状態によって、税制を含めた政府のあり方を定めるべきだと言う事だ。公正さはもちろん、効率性も重視して評価すべきと主張している。自由も、J.S.ミルによる帰結主義による正当化、義務論による正当化の二つが紹介されている(pp.70–71)。ただし、自由至上主義的な規範は、否定されている。

所有は政府があることで成立する法的な慣習であり、財産権は絶対視できない。同様に政府介入があった上での課税前所得だから、課税前所得が平等を意味することは無いので、それを維持することが公平だとは言えない。義務論に基づく個人の責任の最大化は、厳密にそれを支持する人々がいない事で退けている。誰しも貧困は問題だと思うそうだ。こういう議論になるとロールズ主義もしくは、功利主義に落ち着く気がするが、そこまでは言及されていない。

こういう原則を置きつつ、資本所得課税や相続・贈与税、税制上の優遇措置やピグー課税について、各論の議論がされる。結論は抑制的だが、日本の昔ながらの左派の主張に近い。ただし、公正の観点からだけではなく、効率の観点や実証による知見からも議論されているのは見習うべき。例えば課税が資本蓄積に与える理論的予測やライフサイクル仮説は、実証的な見地から懐疑的に捉えられている。

子ブッシュ政権までの米国事情を反映した記述が多いが、日本では全く議論にならないトピックと言うわけでも無いであろう。前半の原則的なポイントの整理は普遍的に日本にも適用可能だと思う。

2. 経済学との関係

財政学の最適課税論を多く参照しているが、経済学に迎合しているわけではない。低い限界税率と普遍的社会手当が、高い限界税率よりも望ましいとする経済学の実証研究が、実践において(普遍的社会手当無しの)低い限界税率をもたらした事が指摘されており、難癖な気がしなくも無いが、経済学者の関心が社会に損害を与えてきた可能性があると批判されている(p.158)。

厚生経済学が重視されるパレート原理は大抵は利害対立の生じる現実の政府政策の評価には使えない(p.55)としている。無羨望配分に至っては言及されていない。効用の比較不能性が気にされていないので、経験的に良く示されている事実をもとに社会的厚生関数を評価していきましょうと言う話になっているから、経済学徒から見ると物足りない議論になっている。

ただし、自由民主制度の下では、自己利益を追求して良いと言う個人の行為と、公正や不偏性を実現する社会制度の立案を、同一の有権者が担うが、両者を整合的に正当化する道徳原理があるにしろ、心理的一貫性が取れなくなる可能性があり、政治的に公正や不偏性を追求しづらくなる(pp.77–80)と言う話は興味を惹くかもしれない。

なお、経済学の知見を参照しているからと言って、それを詳しく説明しているわけではないから、税制に関して説明された経済学の教科書を別途通読しないと各論に踏み込めるようになるわけではない。

3. まとめ

個別の税制の是非を断定するタイプの本ではないが、規範が現実に適用できるか考察し、規範から税制を評価する思考パターンは学べると思うし、自由至上主義的な規範を押し付けてくる論者への反論を構築するきっかけにはなると思う。文章が分かりづらいのが玉に瑕だが、何回か読み込めばたぶん理解できる。たぶん。ネット左翼の人々も、一方的に何かを糾弾するのが楽しいのでは無ければ、こういう本で議論を磨いてもらいたい。

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