2021年2月20日土曜日

従軍慰安婦に関するラムザイヤー論文への批判の奇妙な点

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従軍慰安婦に関するラムザイヤー論文(Ramseyer (2021))に大きな瑕疵があると、歴史学者のグループ(Stanley et al. (2021))が批判していて話題になっており、確かに文献の参照が恣意的と言うか、参照する文献を間違っているようなのだが、ラムザイヤー論文の核となる前提への批判は奇妙なものになっている。

ラムザイヤー論文はざっくりとした歴史理解から得られた前提をもとに、(明示的に数学を使っていないが)数理的に分析するアプローチの論文なので、前提を覆すような点の批判でなければ—撤回になったとしても—論文の主旨を変える必要は無い。逆に、ここが否定されたら修復不可能と言う意味で、致命的なことになる。

歴史学者の皆様は、前提に関わる部分について以下のように述べている。

There are two factual claims that are fundamental to this argument. One is that there were contractual agreements between women and brothel keepers that paid women large cash advances. The other is that the women in brothels could leave early if they earned out by paying off their loans and debts. Neither is supported by the evidence Ramseyer uses; in fact, in some cases the evidence he cites directly contradicts these claims.(拙訳:この議論の基礎となる二つの事実が主張されている。一つは、慰安婦と、慰安婦に多額の前借金を払った慰安所管理人の間に契約上の合意があった事である。もう一つは、もし貸付金と債権を完済することで追加の収入が得られれば、慰安所にいる慰安婦は年季明けを早められたことである。ラムザイヤーが使っている証拠はどちらも支持しないし、実際、一部の例では、彼が言及する根拠はこれらの主張と直接矛盾する)

つまり、ラムザイヤー批判者たちは、前借金を返したら年季明けできる契約があった事が示されていないと主張している。しかし、そのような契約になっていたことは、『慰安婦と戦場の性』で取り上げられた証言からも分かるし、『反日種族主義』でも説明されていた気がするし、慰安婦募集の広告もそれと整合的な内容だったし、実のところはラムザイヤー論文で引用されている資料から分かる。

そのような契約が存在したことは、ラムザイヤー論文で引用されている米軍の「日本人戦争捕虜尋問レポート No.49」から分かる。慰安婦の家族に支払われたお金に利子を足して返済したとき、朝鮮へ帰国便の乗船券が提供されて自由になれたと考えられるとある。ただし、この米軍のレポートだけでは十分ではない。歴史家たちが批判しているが、ラムザイヤー論文では引用していない部分で、戦況の悪化によって契約は履行されなかったとも書いてあるからだ*1

戦況の悪化が無ければ、前借金を返した慰安婦は帰国できたのか? — これについては『日本軍慰安所管理人の日記』で、少なくとも1944年末までのシンガポールにおいては、年季明けをしている慰安婦が多数存在する事から、その蓋然性が高いことが分かる。慰安所の一つである菊水倶楽部では、20名前後とされる慰安婦のうち、14名(もしくは12名)が1944年に帰国している。シンガポールとビルマで異なる形態の契約が運用されていたとは考えづらい。(内地・朝鮮・台湾出身の)慰安婦は概ね1年~2年で前借金を返済し、もう1年で貯金をつくって朝鮮に帰っていったと言われている*2ので、返済と同時に帰国したかは分からないが。

leave earlyの文意が、早めに廃業できると言う意味ではなく、契約期間中に廃業できると言う意味であれば、もう一つ議論がいる。歴史家の皆様は明確に指摘していないが、前借金を返しても契約期間中は拘束された可能性は(少なくとも上の文献2つからは)否定されない。しかし、内地の遊郭であれば、前借金を返済したら自由になれる契約の場合、契約期間は前借金の返済が完了できない場合のみ適用された(眞杉 (2009); pp.251–252)。前借金を返しきれなくても、債権債務が消滅するのが契約期間である*3。遊郭から慰安所に移った遊女もいる*4わけで、占領地の慰安所での契約も同様に考えられると外挿して仮定しても不自然ではない。また、群馬県で慰安婦の募集をしていたと考えられる大内なる人物が、「酌婦ハ年齢十六才ヨリ三十才迄前借ハ五百円ヨリ千円迄稼業年限二ヶ年」という条件を出していた(永井(2004–2012)「日本軍の慰安所政策について」)。ラムザイヤー論文は、ここの議論に一節を割くべきであったが。

こういうわけで歴史学者の皆様のラムザイヤー論文批判は致命的なところを指摘できていない。なお、ラムザイヤー論文が正しいと主張しているわけではないので悪しからず。引用先にはそんな事は書いていないとか、産経新聞を学術論文と同様に引用するなと言うような、引用に関する批判は妥当なものが多そうだ。また、芸妓稼業契約と前借金契約で説明できない内容の証言もあるわけで、それらを前提として採用しない説明も必要であった*5。慰安婦と慰安所に合意された契約があったにしろ、それは親に売り飛ばされた後に事後的に娘が契約に合意していると思われるケースがかなりありそうなので、自由意志があったので奴隷ではなかったかのような議論に誘導しない配慮も欲しかった*6

追記(2021/03/09 14:04):反日種族主義』の李宇衍氏が、『重重: 中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の物語』に収録されている、16歳で自ら女衒と契約を結んで遊郭に売られた後、自らの希望で慰安所に転売してもらった元慰安婦ヒョン・ビョンスク氏の証言を紹介していた(JBpress)。ビョンスク氏は、遊郭と慰安所でどのような職務につくか理解していた上で、契約書に捺印した。また、親族の署名・捺印も必要だった。

追記(2021/03/19 04:34):朝鮮人慰安婦が署名した契約書は見つかっていないようだが、その雛形と考えられる職務内容が酌婦稼業(娼妓同様)の稼業年限、年限途中での廃業条件が書かれた書類は見つかっていて、保坂祐二元世宗大学教授の収録されているそうだ(慰安婦業者の契約書が見つかった話 - タイを釣りたいエビ)。

追記(2021/04/16 21:34):上述の部分以外でもStanley et al. (2021)にはおかしい所がある。1921年の婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約(醜業条約)として、1926年の奴隷条約の内容を紹介している(p.16)が、醜業条約が朝鮮では適応されず、かつ、1926年の奴隷条約の奴隷に当たらないという高裁判決があることに留意していない。1925年の醜業条約と書いてあるし。

*1歴史家の皆様は戦況の悪化で契約が履行されなかったことをもって、ラムザイヤー論文の前提と矛盾すると主張しているが、契約の存在が否定されたわけではないから矛盾しない。

*2『慰安婦と戦場の性』(pp.382—393; C井上源吉憲兵曹長の証言)にある

*3ラムザイヤー論文ではmaximum termと書いてある。

*4内地と台湾では初期は既に醜業に従事している女性が募集されたことが確認されており、「朝鮮からもまず「醜業婦」であった者が動員されたと考えるのが自然」とされている(慰安婦とは―女性たちを集める 慰安婦問題とアジア女性基金)。『慰安婦と戦場の性』にも、遊郭から慰安所に来た女性と出会ったと言う証言が紹介されている。米軍レポートにあるビルマの慰安所でも、若干名だが既に醜業に従事していた女性が含まれていた。

初期に証言した朝鮮人元慰安婦19名のうち1名は、証言された場所に慰安所があったことが確認されていないため、遊郭と慰安所を混同した偽者である可能性がある。歪曲報道と問題になった『週間文春』(2014年4月10日号)のインタビューによるものだが、その後、インタビューされた安秉直氏の話でも、この点は否定されていない(安・今西 (2017))。

*5元慰安婦の証言は、終戦から45年以上経ってからであり、ほとんどの慰安婦の証言は物証が乏しく、さらにインタビューした時期によって同一人物の証言でも一貫性がなく、また、(2019年12月に発見された在中国の日本領事館の報告書にある陸軍の要請から推計すると)1944年時点で4万3000人程度はいたが、名乗り出た慰安婦は1997年時点で153名超に過ぎないため、例外的な事例が集まっている可能性がある。

*6かつてラムザイヤー氏は遊郭についても同様の議論をしていて、前借金は親のものだから、契約に合意しない遊女は親を捨てて遊郭を逃げればよかったが、遊郭に留まっているので遊女は契約に合意していたと言う議論をしているのだが、朝鮮や日本にあった慰安所ならばともかく、占領地の慰安所は故郷から遥か遠く、許可無く帰国もできない。

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