2020年2月5日水曜日

元検事の弁護士に詰問されているツイフェミも、腹を括れば筋は通るが

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態度を曖昧にする。迷いがあるのが、興味深い。

ツイッターランドでフェミニストを称しているクラスターの有名アカウントのシュナムル氏が元検事の弁護士の矢部善朗氏に、なぜ「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの第1弾のポスターの絵がいけなくて、第2弾のクリアファイルの絵(というかマンガ)がいけないのか詰問されている。

矢部氏は善し悪しを判断した規範的基準を明快にするように要求し、シュナムル氏は「男女共同参画の視点からの公的広報の手引」の第5節の「女性をむやみに"アイキャッチャー"にしていませんか?」のところ「安易に女性をアイキャッチャーとして起用せず、訴求内容と訴求対象に合った、より効果的な表現方法を工夫しましょう」をひいて、第1弾の女性キャラクター宇崎ちゃんはアイキャッチャーであったが、第2弾は献血手順を説明するマンガになっているので異なる*1と主張したように見えるが、最後のところで煮え切らない。

矢部氏は日本弁護士連合会の以下の事例もダメかと確認しているのだが、シュナムル氏は返事をはぐらかして立ち位置をはっきりさせない。

日本赤十字の過去のポスター/クリアファイルを見ても、女性アイドルが笑顔でいるだけの写真は数多くあり、シュナムル氏の基準をとると「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの第1弾だけでは批判の対象は収まらなくなるのだ*2。男性のアイドルやスポーツ選手を使ったもの以外、ほぼすべて悪いになる。

もう思い切って、すべて悪いと高らかに宣言したらどうであろうか。明快かつ一貫性のある基準になるし、献血のために血を抜かれるアイドルの絵や、瀕死の重症で輸血されるアイドルの絵をつくればいいので、現実的に公的広報がつくれなくなるわけではない。過去のフェミニズムの議論からは、着衣の女性をアイキャッチに使ってはいけない理由はかなり根拠薄弱に思える*3のだが、それは別の話だ。

ツイフェミの皆さんは自分の主張がどれぐらい現在の社会慣習から見て極端なものか自覚をしていなかったのではないかと思うが、もう今更なのでとことん突き詰めて欲しい。ヘイトスピーチでも何でもない一つの考えで、社会悪と言うわけでもないし。逆にそれが自分が支持できないと思うのであれば、上っ面だけの倫理で物事の善し悪しを決めてきたことになる。

*1第1弾は以下。第2弾は作者がツイートで、表面を写真にとって公開している。

*2第1弾がこの基準に引っかかることを前提に論を進めるが、訴求内容と訴求対象に合った、より効果的な表現方法を工夫したら、アイドルと萌え絵の女の子がアイキャッチャーとして残ることもある。献血者に伝えるべきすべての情報をポスターで伝える必要はないし、これだけ女性の立ち姿を使ったコラボキャンペーンが多いということは、それでも広告効果が高いことが予想され、日赤の理念である献血血液の安定的確保に貢献していると考えられる。

*3社会学者アービング・ゴッフマンは、表現物における女性の描かれ方から社会的に女性のおかれた地位が読み取れることを指摘しているが、表現物における女性の描かれ方が女性の社会的地位を決定するとは言っていない。

ラディカル・フェミニズのポルノ排斥運動の論理と関連づけている人々もいるが、議論されているポスターにおける女性は露出度が低くポルノとは言えない。また、ポルノの場合は、女性の身体がその人格と切り離された交換可能なモノとして鑑賞され、被写体の女性自身もモノとして考えるようになり、被写体の女性へのセクハラ行為が頻繁になったり、ポルノ出演の強要や人身売買取引を引き起こすことが問題になるが、マンガのキャラクターは実在しないモノなので、性的モノ化される可能性もないし、犯罪行為が引き起こされる可能性は無い。イートンの絵画における性的モノ化の議論を見ても、美術の世界における男女の非対称性を問題にしており、女性クリエイターも数多くいるマンガの世界での多種多様な表現の一つでしかないポスターは何ら問題ではない(関連記事:過去のフェミニズムの議論からは、性的モノ化された萌え絵が有害の可能性は低い)。

乳房が大きい、乳房が強調されていると言う理由で性的モノ化されているという非難も見かけるのだが、性的にふしだらに見えると言う理由で女性の格好や振る舞いを悪く言うのは、スラット・シェイミングと呼ばれるリベラル・フェミニズムが非難する行為だ。そもそも街で見かける程度の描写なので、性的に過剰に強調されているとも言えないが。

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